「的」乱用は言語の「敵」?

たまに、父は気になった新聞の記事を切り取り私を含めた家族に見るようにとテーブルの上に置くことがあります。昨晩も何個か置いてあったのだが、記事の端に一言、「ブログのネタに。」と走り書き。。今日はそれに乗っかって、その中のひとつについて書いてみますか。それは「あいまいワタシ的」という題の記事。まあ、近頃、よく使われる「私的には」とか「俺的には」とか「自分的には」という言葉について、どうなの?と疑問を投げかけているわけです。その記事の中で中国語の「的」(日本語の「の」を意味します。)という言葉を取り込んだ斬新な文化という文を見て、おう、なるほどとも思いましたが、筆者は、この言葉が自分とは少しずれた誰かが言っているようなニュアンスだったり、とにかく、あいまいにぼかす表現だと感じているようです。確かに、あいまいにしている感はあるかもしれませんが、実際に使ったことのある私、強いては、気持ちだけではありますが、若者代表として、その言葉を使っている時の感覚を言ってみると、それは、みんながそうかはわかりませんが、「私としては」=「私的には」といった感覚で使っております。(たぶん)ただ、まったく同じとは言いませんが、「私としては」はピンポイントに自分を指していて、「私的には」方面を示しているように感じます。まあ、言い換えれば、「側」というものでしょうか。私側から考察すると、みたいな感じです。この「的」という言葉は「中国的に」「お前的に」「アミ的に」^^など、国からなにからなんでも使えます。これも全部、中国側から、お前側から、アミ側から見てみれば、考察してみればという、考察の「方面」を指し示しているように思うわけです。まあ、こう書きながら、思ったのは「ポイント」が「方面」になるということ、自体が、あいまいじゃないかと言われればそうなのかもしれませんねえ。まあ、ただ、自分の意図した言葉と相手が解釈した言葉というのは必ずしも一致しないもの。このように疑問に感じる方が多くいらっしゃるのであれば、よくよく、気をつけて、この言葉を使うにこしたことはないですね。では。


アミ:「おいら的には少し眠いわけで。。」
私:「あいまいに表現しなくても、明確!にわかります、そんなこと。」

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