すごさ実感の種類。

昨日、サッカー日本代表、アンゴラ戦を観戦して参りました。(さぶかった。。)いやあ、最後の松井弾はえかった、えかった!サポーターはほぼスコアレスドローを覚悟していた感がありましたからねえ。(また決定力不足?みたいに^^)決定力不足はいつも言われてること、でも、今回先発したFWの柳沢や高原は日本代表として、すごい逸材なはずなのは確か。そもそも、90分間、走り回って、空中のボールをトラップしたり、そのままボレーシュートすることなんざ、一般人から見れば至難の業であります。サポーターが「このへたっぴー!」と怒鳴る姿を見ると、こういう気持ちから、「おいおい、そこのおっさん、プロフェッショナルが懸命にやった結果なんすよ、すべては」と言いたくもなります。(まあ、プロの世界ってのはそういうもんではありますが。私もたまに叫びますし。。)で、本日の言いたいことは、人のすごさの感じ方ってのは、2種類あるってことを勝手に言いたいんでやんす。それは、未経験者から見たすごさ実感と経験者から見たすごさ実感ですな。例としては、最近、ゴルフを始めた私、練習をしても、曲がったり、当たり損ねたり、となかなかうまくいきません。で、それまで、何気なく観ていたテレビのゴルフプレーヤーのすごさが自分がゴルフを始めてみて、「なんであんなにまっすぐ、遠くに飛ぶんだ!」というようにびっくりするわけです。ゴルフ未経験の時は、ただ、すごいな~っていう感じでした。まあ、違う言い方をすれば、カテゴリーの違う位置にいる人を観れば、遠くの人を見るように「すごい」というより「すごいんだろうなあ」とすこし抽象的になり、同じカテゴリーに自分を置くと「すごい」とか「~できるのがすごい」と具体的なすごさ実感になるわけですな。まあ、これはスポーツに限らず、音楽や絵などの芸術に関しても言えることだと思います。って、まあ、少し話を戻すと、意味もなく怒鳴るサポーターのおっさんはあきらかにちゃんとサッカーをしたことがない人であるのは確か^^広く浅くという言葉に忌み嫌う人がたまにいますが、より多くのもの(カテゴリー)を体験することで、その世界のプロや芸術品のすごさをよりいっそう、強い「すごい」という感動を感じることができるという意味ではとてもいいことなのではないでしょうか。「このへたっぴー!」より「あのトラップ少し大きかたったなあ」って言うほうがかっこええし^^まあ、プロはすごいが前提です、あくまで。


アミ:「あら、山田さん、最近やせたんじゃない?」
山田さん:「そんな~、アミさんほどじゃないわよ~、おほほほ」
って、すべてはアミちんの妄想(希望)です。。
アミちんのダイエット地獄はまだまだ続く。。

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