吉幾三さんのバックでコーラス!!!!

昨日、あるお世話になっている人からのツテで吉幾三さんのバックコーラスをしてきました!吉幾三さんの芸能生活35周年記念パーティだったのですが、20人のコーラス部隊の中のひとりということで、少し油断して当日参加したところ、一人ずつマイクがセッティングされていて、びっくり、緊張しながらも必死にコーラスをこなしました。それにしても、出席者には、五木ひろしさんや山本ジョージさんなど、演歌界の大物が集っていたわけで、その緊張たるものは、すごいものでした。あれ~?今、ネットでニュースみたら、王貞治氏も来てたの・・?野球少年の私としては、誰よりも憧れの存在である人物であり、そんな人の前で知らずに歌ってきたと思うと、今更ながら、また心がドキドキと脈打ちます。特に、直接、吉さんと接したわけではないですが、リハーサル、本番、関係者打ち上げの中で、その人柄というものはうかがえました。話や振る舞い、オーラなど、35年のすごみとその証明がされていました。全日空ホテルの馬鹿でかい宴会場でパーティをやったのですが、宴会場自体もそうですが、私たちが立ったステージも今までに見たこともないほどのでかさでした。(ドラム、キーボード、ベース、ギター、タンゴ、弦楽器隊、そして、私たちコーラス隊など、その他大勢の演奏者でいっぱいでした。NHKの紅白やなんかの歌番組の大ステージを連想しました)吉幾三さんは、1972年に山岡英二として「恋人は君ひとり」という曲でデビューをして、吉さんの代名詞ともなる「俺ら東京さ行くだ」が出るまで12年(1984年)もの時間が経っていたことには驚きです。(1977年に「俺はぜったいプレスリー」、1984年に千昌男に楽曲提供で「津軽平野」をヒットをとばしていますが、その後低迷)そういう歴史あっての、あの大ステージがあることにはとても感動がありますね。私のようなちょっと役のスタッフを含めれば、関係者は100人はくだらないでしょう。ただ、すごい人数に支えられていいなあ、すごいなあ、という気持ちを私が持つ中で、この仕事を紹介してくれた人は言いました、「吉幾三を看板に生活している人たちがこんなにもいる。吉幾三がダメになったら、それこそ大変。この人たちの生活を背負って、吉幾三は歌っている。」と。その言葉に、私は単なる羨望の気持ちではなくなりました。どこの世界も同じ、人が人を支えあって、成り立つなんだなあと。そして、自分が何をすることができるかによって、その成り立っていくものの質や大きさが変わってくるんだと、改めて実感しました。お、気が付けば、長くなってしまいました。。長々の私の感想文、すんませんでした。でも、私もがんばってます。近々、具体的にがんばってる情報を報告します!ではでは。


アミ:「わわわわ~~~~~、、、、ん♪」
アミも一緒にコーラスしたかったようです^^おいらにも歌わせろって?

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