追いつめられた時の精神状況

イラクのバグダッドで数百人、アメリカのルイジアナ州(特にニューオーリンズ)で数千人と被害が出てますが、人間って、本当に脆いものだと思わされる事件です。バグダッドの事件は「自爆テロ」という言葉に怯え、人々がパニックになったことや、ニューオーリンズではハリケーンが過ぎ去った後の被災地で治安悪化、犯罪が起きていることから、人ってのは、自分に余裕がなくなると物事が見えなくなってしまうんだなあと感じますね。自分の生活の中で、強引になおかつ安直に例えると、自分が腹をこわして、駅のトイレとかにかけこむ時は人ごみを必死にかきわけ、我先にという感じで必死にトイレに直行すると思います。ましてや、そんな時に人に頼まれたって自分より先にトイレを譲るってことはかなり困難でしょう。(まあ、あくまで僕の場合ですが、、)例がかなり悪いですが、こんぐらいのことで「自分が自分が」という心理になってしまうのですから、生死がかかったこういう状況において、バグダッドでのテロに巻き込まれたくないという気持ちから橋から川に飛び込んだり、ニューオーリンズでの水や食料がなく、飢えて、無人のスーパーマーケットに潜り込んだりという心理が生まれたりすることは不思議ではないと思います。(それでも犯罪はやっぱだめですよ)人間の道徳とか倫理ってのは、気持ちのゆとり(精神的にも経済的にも、心身的ってことかな)というベースの上に成り立ってるもんだと再度思いました。パニックってのは、そのベースを壊すので、集団パニックってのが、どんなに恐ろしいことかと考えさせられますね。信頼できる家族や友人という集団においてのみ、集団パニックという中において、気持ちの整理をすることができるのではないかと思います。家族と友人は大切に。ちゃんちゃん。まあ、小さい頃、よく兄弟でトイレ争奪をしておりましたんで、そんな状況で助け合えるかどうか^^


アミ:「被災者が心配で夜も眠れんわ。」
私:「腹へって、目が覚めただけだろ。」

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