量より質、とかではなく、内容より発信者なのかも
グラミー賞を取れるロックバンドに必要な要素とは?近年の傾向を読み解く
http://realsound.jp/2014/01/post-273.html
第56回グラミー賞でインディーズが躍進、全受賞レコードの50%を占める
http://www.musicman-net.com/artist/32827.html
グラミー賞が発表されまして、TwitterやfacebookなどのSNS上はダフトパンクの書き込みで一気に埋まる状態になりましたね。^^
審査の基準はCDなどのセールスに関係なく、クオリティ重視であるということ、インディーズが全受賞の50%を占めたこと、などなど、日本のレコード大賞とは全然違いますなと、ちょこっとチクリと言ってみる。ww
さてさて、、話を戻して、
ダフトパンクの新作アルバム「Random Access Memories」がリリースされ初めて聴いた時、私は正直なところグラミー賞とるほど良いものだとはその時思いませんでした。(「Discovery」を初めて聴いた時の方が衝撃的でしたね。あくまで主観的な意見ですが。)
SNS上で紹介されていたグラミー賞でのダフトパンクのパフォーマンス動画は確かにかっこよかったです。でも、どれだけの人がダフトパンクというフィルターを抜きにして、純粋にその音楽が良いと、受賞前から感じていたかは不明です。(少し穿った見方ですが)
何が言いたいかというと、コンテンツの評価や印象というものは、コンテンツ自体のクオリティだけではなく、「そのコンテンツの発信者が誰か」というものに大きく左右されると、私は最近強く感じています。
超有名なバイオリニストが名前を伏せて路上演奏をしたら、反応が芳しくなかった動画が以前紹介されていたり、実験的に名前を伏せた大物ミュージシャンの音源が全然売れなかった話や、ハリーポッターの作者が違う名前で本を出した時、全然売れなかった話などなど、、、
誰がどういうものを発信しているかが全体の評価を決めると思うのですが、
「どういうものを」、というよりも、もしかしたら、「誰が」、という主語の部分の方が実は大事な部分を占めているのかもしれないと思うのです。
陳腐な例を挙げれば、
イチロー選手が「継続は力なり」と言う
そのへんの三日坊主が「継続は力なり」と言う
「継続は力なり」という素晴らしくも同じ内容を言っていたとしても、受け手は、イチローと三日坊主くんの言葉を違う評価をします。(当たり前。笑)
極端な例ですが、やはり、内容も大事ですが、「誰が」という部分がとても大事。(組織で言えば、「どこが」になると思います。)
「誰が」という部分は、
人となり、実績、人気、キャラクターなどなど色々な人間的要素で決まると思います。
だから、コンテンツ、つまりは内容を磨くことも大事ですが、やはり、発信源である人も磨かねばならぬと本当に思います。
というわけで、話は少し変わりますが、
近々、小形誠音楽塾(歌と作曲など)を開講します。(レッスンね)
「数多くの音楽関係者が」レッスン業を行っていますが、
「小形誠が」行うレッスンというものに興味がある方は是非、ご応募ください。詳細はまた改めて、告知致します。
脱サラ作曲家として数百曲書いてきましたが、私なりに培ってきたものがありますので、それらを私らしく、受講者に教えられたらと思っています。
「小形誠が」で提供するコンテンツ、ご期待くださ~い
ではでは
実は今日、ダンディカメラマンの外山くん(会社時代の後輩)に撮影してもらったのですが、ビジュアル的に(おっさん)そろそろ、私もダフトパンクのように被りものに移行する時期が近づいているのかもしれません。笑。おすすめの被りものあったら、みなさま教えてください。ww。実際、ダフトパンクのように、被りものしてると年を感じさせなくていいよね。