幸せに主語なんて関係ないのだ。

他人の嫌な部分が気になる場合、その他人の嫌な部分は大抵、自分の嫌な部分であったりする。

 

自分と相手は合わせ鏡

 

こんな話ちょくちょく聞きますよね。

 

とある雑学番組で言ってましたが、女性の場合、決定的に嫌いな女性は実は自分に似ている女性であることが多いらしいです。

 

これも、合わせ鏡と同じような話ですよね。

 

「幸せのおすわけ」は迷信じゃなかった!脳の錯覚を利用したハッピー脳のつくり方
http://topics.jp.msn.com/onna_blog/fortune/article.aspx?articleid=1131595

 

ここに書いてあるように、脳というのはとっても複雑な作りではありますが、結構おバカさんなところがあって、自己と他者の区別がつかないことが多々あるようです。(ミラーニューロンが作用)

 

相手を素晴らしいと褒めれば、脳は自分が褒められているような認識をしますし、相手をムカつけば、自分のことをムカついているような認識をしてしまう。

 

上の合わせ鏡の話は、こうやって脳科学的にも説明がつくと思います。

 

でも、おもしろいですよね。脳が自己と他者の区別がつかないなんて。

 

少し言い換えれば、「脳に主語は存在しない」とも言えるのかなと思います。

 

だから、新聞とかで悲しいニュースを見れば、自分自身もなんだか落ち込んだりすると思うのです。(逆も同様)

 

そう考えると、主語は重要じゃなくて、笑う、痛む、うれしい、悲しいなどの動詞や形容詞が実はとても大事になってくると思います。

 

 



 

 

誰が笑わしたとかは重要じゃなく、笑うこと、楽しい、というその現象や状態がとっても大事。

 

実際、自分が幸せを感じる時って、友人たちがわいわいする輪の中いる時が多いですね。(別に自分自身に楽しいことが起きたわけでもないのに)

 

だから、楽しい、幸せな家庭、職場、学校、などなど、そういうコミュニティを作り出すことがとても大事なんだなと改めて感じさせられました。

 

そんな幸せな屋根(コミュニティ)を支える柱たちのひとつに自分がなれればいいと思います。

(主語が関係なくなるなら、自分の置かれたその環境や場所を良くするのが懸命ということですね)

 

もちろん、どの柱が(主語)支えてるなんて大した問題じゃないですからね笑。

 

主語のない脳のお話からそんなことを考えてみました。

 

みなさま、それぞれいい感じの柱になりましょう^^。それが結局、自分の幸せにもなりますから。

 

ではでは。

 

横のラインはまっすぐですか?傾いてますか?実は、すべてまっすぐ平行なラインです。脳って、本当に不思議ですね^^。

 

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