内面的にも外面的にも自分で自分自身をとらえるのは難しい。

夏の思い出たくさん作りましたか?写真におさめましたか?

 

今日はそんな写真のお話ですが、

 

9割の人が自分は写真写りがよくないと思っているようです。

 

なんでそう思うか?(注意したいのは写真写りがなんで悪いのか、ではなく、なんで悪く感じるのか、です。)

 

そもそも人は何を基準に写真写りが悪いと思うんでしょうねえ?それは普段鏡に映る自分の顔が基準になっていると思います。自分自身が認識している自分の顔というのは左右が逆の顔です。だから、写真の自分の顔に違和感を感じるのは当然なことですよね。もうひとつ違和感を感じさせるポイントが自然さだと思います。鏡に映る自分は自然体、写真をとられる自分は「写真をとられるぞ」という変な意識が働いている顔になります。そこでまた違和感が発生します。以上、推測するに、左右が逆だから、自然体ではない、という2点が違和感、すなわち写真写りが悪いと感じさせているのではないでしょうか。

 

鏡に映る自分の顔は、一番馴染みのある自分の顔だと思います。

 

でも、その鏡の自分の顔は世間や他人さまからすれば、それはまず見ることのない、レアな顔になります。

 

なんだか、おかしい話ですよね。自分の一番知っている顔が世間ではまったく認知されていないわけですから。^^

 

そんなことを考えていたら、ジョハリの窓を思い浮かべてしまいました。

 

ジョハリの窓と言って、わかる人は心理学好きな人ですね^^

 

自己を4つの窓で表現したものです。

 

・自分でわかっていて、他人にもわかっている自己

(開放の窓:公開された自己)

 

・自分でわかっていて、他人にはわかっていない自己

(秘密の窓:隠された自己)

 

・自分にはわかっていなくて、他人にはわかっている自己

(盲点の窓)

 

・自分もわかっていなくて、他人にもわかっていない自己

(未知の窓)

 

 



 

 

これはどちらかというと内面のことを指していると思うのですが、実は写真の件、視覚的自分のことも、このへんと結構リンクしてくるかもしれないと思った私なのでした。

 

・自分でわかっていて、他人にもわかっている視覚的自己(写真に写った自分)

・自分でわかっていて、他人にはわかっていない視覚的自己(鏡に映った自分)

・自分にはわかっていなくて、他人にはわかっている視覚的自己(リアルタイムで他人と対面してる時の自分)

・自分もわかっていなくて、他人にもわかっていない視覚的自己(ただひとりでいる時の自分)

 

無理矢理、リンクさせてみると、写真は確かに開放されたものですね。鏡に映る自分も確かに秘密の自分でもあります。そして、こうやって考えてみて、改めて、気づいたこと、他人と対面している時の自分というのが実は盲点の窓に属していること。実は、他人と話をしている時の自分の顔や表情って、ほとんど誰も自分自身で把握(見ること)してないのではないでしょうか。(ビデオ撮影とかしてない限りね)

 

写真写りの良い悪いはちょっとしたテクニックで結構改善されたりします。しかし、見た目の自分、視覚的自分というものをこうやって細分化してみると、気をつけなければいけない部分、改善の余地があるかもしれない部分は実は「誰かと対面している時の自分」なのかもしれないと思ったのでした。

 

内面の4つの自己、そして、外面の4つの自己。

 

ということで、コミュニケーション時の自分の外面、注意してみましょう^^

 

今日は写真写りの話からこんなアイデンティティ的な話に広げてみました笑。

 

ではでは。

 

やっぱ文章より図の方がわかりやすいですよね。ちなみに、人間の顔を右だけの顔、左だけの顔でCGで合成して作ると同一人物でも別人のようになります。

人間の顔は左右対称ではないことがよくわかる画像
http://karapaia.livedoor.biz/archives/51968824.html

 

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