楽観主義いいね!悲観主義もいいね!

こんな記事がありました。

 

悲観的な高齢者は長生き。スイスとドイツの調査結果
http://www.afpbb.com/article/life-culture/health/2931667/10369664

 

えー!?と思いたくなる記事ですが、「将来に関する悲観的な考え方を持つ高齢者は、自分の体に気を遣い、リスクの予防策をより多くとる可能性がある」という部分を読むとなんだか納得させられるような気もします。

 

そもそも、悲観はよくなくて、楽観がよい、と決まっているわけではないんですよね。

 

世の中は善悪で出来ているんじゃなくて、ひとつのことに対してすべては二面性があると私は思っています。

 

自分を持っている←→自我が強い

細かい←→丁寧

能天気←→おおらか

 

例えば、こんな風に同じような意味でも、言葉を変えたり、考え方によって印象が全然変わります。まあ、これはカウンセリングとかでもよくある考え方だと思います。

 

同じように、悲観の良い部分、楽観の悪い部分だってあるわけです。(ここで言う良し悪しは人それぞれだけど)

 

悲観は言い換えれば、心配性とも言えます。心配性な人って騙されにくいですし、何より仕事の面でうまくいくことも結構多いです。(きめ細やかな仕事をするから)

 

違う例で言えば、テスト勉強で8割くらい網羅してるけど、残りの2割から出題されたらどうしようと思って、2割分も一生懸命勉強するのが悲観主義。8割も網羅しているし、大丈夫だろうというのが楽観主義。結果、悲観主義の人の方が良い点をとることも結構あります。しかし、一方で、悲観主義の人より楽観主義の人の方が本番で力を発揮しやすい一面があるのも事実。またまた一方で悲観主義の人の方が結果が悪くても精神的ダメージは受けにくいという事実もあります。

 

こんなふうに、言えば言うほど悲観と楽観のどっちが良い悪いなんてことはわからなくなってくるわけですが、、笑

 

 



 

 

一番、大切なのは、悲観なり楽観なり、自分の性質を受け止めて、受け入れることだと思っています。そして、それぞれの性質をそれぞれの場面ごとにうまく使い分けて行くこと。よくないのは、自分の性質を他者に押し付けたり、無理に他者に合わせようとすること。大切なのは「人間皆同じ」精神も大事ですが、「人と自分とは違う」精神ともうまく付き合って行くことではないでしょうか。(これもある意味、ひとつの二面性かもしれませんね)

 

なんか、完全な私見ばかりで、わけがわからない文章になってしまってますが、、

 

最後に、フランスの哲学者アランの言葉を紹介

 

「悲観主義は気分だが、楽観主義は意志である」

 

これ、なるほど~って思いました。

 

確かに、悲観は性質的や気分的なもので、楽観は意志、意識的なものかもしれないですね。

(意識的な悲観ってそんな聞かないし^^)

 

そもそも、人間泣きながら生まれてきたのですし、人は皆悲しみを背負って生きているもの。そういう意味ではみんな本質的に悲観主義なのかもしれませんね。生きて行く中でどれだけ笑えるか(楽観)は気分や性質的なものではなく、自分の意志が決めて行くものなのかもしれません。(勝手に拡大解釈)

 

とりとめのない文章になってしまいました。。

 

悲観で結構、楽観も大いに結構。

人様の悲観も結構、楽観も大いに結構。

どっちでもそれなりにいいことあるよ、きっと。

 

それでいいんじゃないでしょうか。

 

ではでは。

 

 

半分の水が入っている写真。「半分も水が入っている」と思うのが楽観主義。「半分しか水が入ってない」と思うのが悲観主義と、わかりやすく診断されます。(これも状況によって変わりますが)グラスの中には水と空気で満杯だという強者の発想もいらっしゃるようで、人間ってホントわからないものです。笑

 

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