名言の誤解。

なんだか春の気配も。そして、花粉警戒。
mixiニュースでおもしろい記事があったのでご紹介。
よく耳にする名言の誤解と、その真意です。

 

■天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず(福沢諭吉)
ご存知、1万円札と慶應義塾で有名な福沢諭吉の名言です。「人はみな平等である」ということを説いた素晴らしい言葉ですね。勝ち組だ、負け組だ、と騒がしい現代にぴったりの名言ではないでしょうか? ……そう思いがちですが、、
実は、この文に続く言葉があるんです。
されども今、広くこの人間世界を見渡すに、賢き人あり、愚かなる人あり、貧しきもあり、富めるもあり、貴人もあり、下人もありて、その有様、雲と泥との相違あるに似たるはなんぞや。ただ学問を勤めて物事をよく知る者は貴人となり富人となり、無学なる者は貧人となり下人となるなり。 「学問のすゝめ」1872年/福沢諭吉
つまりこれは勉強しまくって勝ち組に入れともとれますね^^著書名が「学問のすゝめ」だから当たり前のことを言ってると言えばそうですが。。なんとも、一気にシビアな感じの意味になりますね。

 

■初心忘るべからず(世阿弥)
能を大成した世阿弥の名言です。現在は一般的に「何かを始めた時の最初の志を忘れないで」という意味で使われています。私もそう思っていました。
ところが、このとき世阿弥が本当に伝えたかったのは少し違って「最初のときの芸の未熟さや失敗したときに味わった屈辱を忘れるな」ということだそうです。ちょっとニュアンスが変わりますね。
入学式や入社式などで、初心忘れるべからずとスピーチをするのもちょっと違うということになります。(だって、まだ失敗さえもしてないから。失敗の経験ゼロ)
過去の未熟な自分を思い出したり、それを補うためになにくそと頑張ったときの思いを忘れるな、という意味ということです。

 

 



 

 

■健全なる精神は健全なる身体(肉体)に宿る(ユウェナリス)
古代ローマ時代の風刺詩人であるユウェナリスの言葉で、身体が健全ならば精神も自ずと健全になるという意味で使われているようです。ですが、これももちろん言葉通りの意味ではありません。
当時の古代ローマでは、幸せになるために人々は神に対して「お金持ちになりたい」、「才能が欲しい」、「美貌が欲しい」などと様々なことをお願いしていました。それを見た風刺詩人のユウェナリスは、そんなに多くを求めて願いを叶えたところで、身を滅ぼすだけである、と説きました。続けて、もしも神に祈るとすれば、「健やかな身体と、誘惑に負けず政治に関心を抱く健やかな精神」こそを願うべきだと考えたわけです。(※Wikipediaなどを参考)
現代には、引用しずらい名言のような気がしてきました。

 

■天才は1%のひらめきと99%の努力(エジソン)
発明王エジソンのとても有名な名言です。この言葉を知った人は、あの天才のエジソンでさえも惜しまぬ努力をしていたのか! とちょっと勇気づけられる言葉です。でも、これも本来のエジソンの発言の意図とは、微妙にズレているのです。
この名言は本来、「1%のひらめきがなければ99%の努力は無駄である」という意味だったんです。えー! やっぱりひらめき次第なのー!?
もうちょっと掘り下げていくと、1%のひらめきがあれば、99%の努力は苦じゃない、という意味。エジソンがどれだけひらめきを大切にしていたかが分かります。

 

実際、エジソンはアイディアが浮かぶとすぐメモを取るよう心がけていたようです。(それは私も同じです^^)
うーん、さすが偉業を成した方々の言葉。名言って、思ってたよりずっとシビアなことを言ってたんですね……。現実は厳しいなぁ。(※ユウェナリス、エジソンはWikipediaなどを参考にしました。興味がある方はご一読ください)

 

以上mixiニュース引用&添削
言葉って、時代と共に変化していくものであるのは仕方ないことですが(ら抜き言葉や造語など)、言葉を発した本人の意とは違うものになっていってしまうことはなるべくは避けたいものですね。

 

ではでは〜。

 

 

アミ:「犬牛の仲〜。」
私:「仲がいいってこと?浸透しないだろ。。」

 

 

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