「関係ない」は子ども、「関係ある」は大人

日本人研究者、4億人を絶滅させる可能性があるスーパー・ウィルスを作製
http://newclassic.jp/16592

 

ウィルスによる病気が発生し、そのワクチンを人間が作る。

 

ワクチン耐性のあるウィルスが生まれ、また、そのためのワクチンを人間が作る。

 

ウィルスの進化と人間によるワクチンの進化の競争、イタチごっこをこれまでしてきたわけですが、まさか、人間がワクチンではなく、ウィルスの進化のお手伝いをすることになるとは、、。

 

ウィルス関連で思い出されるのは、30年以上も前に根絶した天然痘ウィルス。実は、アメリカ政府は天然痘ウィルスを今も保管しています。(なんのための目的かは色々言われています。もちろん、アメリカはワクチン持っています。)

 

個人レベルで普通に考えれば、そんな危険なウィルスはさっさと処分、廃棄してしまった方がいいと思います。しかし、あえて「個人レベル」でと言ったように、組織レベルでは、必要であると言わせる何かの要素がきっとあるのでしょう。

 

上の日本人の研究でも、ウィスコンシン州の生物安全委員会は承認をしています。(今は慎重な姿勢みたい)

 

少し、話は変わりますが、とある議員の号泣会見が話題になりましたね。

 

あれだって、私個人の意見を言えば、なんであんなのが議員なの?と疑問に思います。でも、事実、議員になっています。ちゃんと、選挙という地域社会の総意で決まっているのですよ。別の言い方をすれば、組織の意見とも言えるわけです。

 

 



 

 

何が言いたいかというと、

 

日本人研究者も号泣議員も、単独で土から勝手に生えて育ったわけではないということ。

 

つまり、

 

「ありとあらゆる物事は、必ずなにかしらの組織(集団、関係性)の中から発生している」

 

物事は単独ではなにも存在しないと私は思っています。

 

研究者も議員も生まれて、今に至るまでに何千、何万人という人と関係を持ったと思いますし、その関係を持った人の周りの人間、そのまた、さらに周りの人間、と考えていくと、関係性は無限に枝分かれして、数えきれないほどになるでしょう。

 

そう考えると、私たちとその当事者は全くの無関係なんですとは言い切れない部分もあると思います。(選挙で決める議員なんて、なおさらそうですよね)

 

だから、たまに、自分の世界と当事者の世界を切り離して話(批判)をしている人を見ると、違和感を感じます。(自分がいくら何をやっても、世界は変わらないとなげやりというか、嘆いている人)投票にも言ってない人が政治批判をすることも同じような気がします。(蚊帳の外で、適当なこと言っているコメンテーターも私、そんな好きではないです。少し論点違いますが。笑)

 

そんなこんなで、当事者意識のない人の意見をそんなに好まない私です。

 

「自分の関係のないところで、知らないところで、世界は決まって行く」という冷めた発想はいかがなものか。(子どもの発想)

 

一人一人が、当事者感覚を持って、「自分の言行が大なり小なり、世界に派生していき、影響を与えるかもしれない」という考えの方がいい。(大人~)

 

こう、タラタラと考えていってみると、

 

もしかしたら、集団と個人(自分)の関係性をどれだけ意識できるかどうかが大人かどうかの基準になってくるのかもしれませんね。(子どもはその辺の意識が薄い。当事者感覚が薄い)

 

今まで関わった人たちへの意識、つまりは感謝(過去の集団への意識)

 

自分が世界に与える影響の意識、つまりは責任(未来の集団への意識)

 

ということにもなるのかもしれません。

 

お、なんだか理屈っぽくなってきた。。汗

 

ではでは

 

 

有名な画像です。一番左の虫眼鏡で見ないと見えないような爆発が広島の原爆。一番右がロシアの水素爆弾のツァーリ•ボンバ。これも何十年前の爆弾だから、今はもっとすごいのあるのかな?(汗)上のウィルスは4億人を絶滅って書
いてあったけど、こんな爆弾だって、億単位だろうね。。(衝撃波が地球を3周するらしい)何を思って、研究者はこういうものを開発するのだろうか。そして、関係のある周りの人たちも。

 

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