世の中は「囚人のジレンマ」という心理状態で溢れている

こんな授業受けたかった?心理学の先生の最終試験問題が話題に

http://news.mynavi.jp/news/2015/08/19/089/

心理学の先生がクラスの生徒たちに出した問題

 

「あなたのテストの点数に2点か6点を足してあげます。どちらの点数を足して欲しいか選びなさい。(他人の回答内容はわからない)しかし、クラス全体の10%以上が6点を選んだ場合、誰もおまけの点数を貰えません。」

 

この先生は2008年から毎年この問題を出していますが、おまけの点数を得られたクラスはたったの1つだけだったみたいです。

 

このように、他の人と協力し合った方が全員に良い結果が出るにも関わらず、最終的に、人は「自分に有利な」条件を選んでしまいお互いを裏切りあってしまいます。他の人を考えず、自己中心的になるのは、人間として当たり前に持つ人間性のひとつです。

 

このような心理のことを

 

「囚人のジレンマ」とか「コモンズの悲劇」とも言います。

 

心理学的なことに興味のある人はご存知の方も多いでしょう。

 

今回は囚人のジレンマについてもう少し述べていきます。(コモンズの悲劇はネットなどで自分で調べてね)

 

囚人のジレンマの基本ケース

 

共犯者の囚人AとBに自白させようと、検事は2人に司法取引を持ちかける。(二人は別部屋で意思疎通はできない)

 

①どちらか1人だけが自白
→自白した方は懲役1年、しなかった方は懲役10年

②どちらとも自白した場合
→2人とも懲役5年

③どちらも黙秘した場合
→2人とも懲役2年

 

この場合も、自分の利益のみを追求する限り、お互いに裏切って②になることが多いです。(自分だけがんばって自白しなかったのに懲役10年なんて嫌ですからねえ^^;)

 

こうやって見ると、人間は自己中心的だなあと思ってしまいますが、同じ状況なら自分も同じ回答をする可能性は高いですね。。

 

だって、合理的に考えれば、自然とそうなっちゃうのですよ。
表で見るとなおいっそうわかりやすいです。(囚人Aの目線で表を作成)

 

囚人Bが黙秘   囚人Bが自白
囚人Aが黙秘  懲役2年     懲役10年
囚人Aが自白  懲役1年     懲役5年

 

囚人Aの目線で横になぞって見てみましょう。

 

囚人Aが黙秘した場合、懲役2年、もしくは懲役10年です。(足すと12年)
囚人Aが自白した場合、懲役1年、もしくは懲役5年です。(足すと6年)

 

明らかにリスク計算すると、自白した方が合理的なんですよね。。(12年と6年の比較)
このような囚人のジレンマの心理って実は、経済、政治、社会、倫理、哲学などなど、あらゆるジャンル、場面で適用されることが多いです。

 

安全保障のジレンマという言葉も、こういうところから来ています。

 

囚人Aが自白する、黙秘する、囚人Bが自白する、黙秘する、
という形に沿って言うならば、

 

自国が核を持つ、持たない、相手が核を持つ、持たない。
武力を持つ、持たない、、、

 

という感じになります。

 

お互いが核や武器を持たないという選択が両者にとってのベストのはずなのに、実際、そうはなりませんよね。

 

人間関係レベルでもありますよね。

 

男女関係とかも、ある意味そうです。

 

男は本気、遊び、女は本気、遊び。

 

理想は両者とも本気なのが当然ですが、相手の気持ちがわからない場合、あとで傷つきたくないからという発想から、保険をかけて両者が遊びを選ぶことも多々有ります。これもある意味、囚人のジレンマ。

 

みんな一斉に善を実行すればいいのに、「自分だけ得したい」「自分だけ損したくない」という気持ちがどうしても「両者にとってのベストの選択」をしづらくさせます。

 

たぶん、こういうところで、「まじめはバカをみる」という言葉も生まれたのではないかと私は勝手に考えます。

 

じゃあ、どうすりゃいいの?って話ですが、
だらだらと長文になってしまっているこのブログですが、実はその長文の中に答えとなるキーポイントは既に書いております。笑

 

それは簡単です。コミュニケーションです。ww

 

なんだよ、そんなことかよと思うかもしれませんが、とーっても大事。

 

最初に書いたテストの点数の話も囚人の話、恋愛の話も全部そうですが、答えを出す側は他人(相手)の答え(気持ち)を知りません。ここが重要なのです。知らないから疑心暗鬼になって、変に合理的、自己中心的な答えになってしまうのです。他者の答えがわかってたら、内容は変わると思います。

 

格闘技でナイフを使うのは反則だから使うのはよそうと言っても使う人はいるわけです。
じゃあ、お互い裸でリングに上がれば問題ないですよね。

 

そう、裸になって話し合うことが大事です!笑(すみません、格闘技の例えは少々こじつけです^^;)

 

まじめでバカを見ている人はもしかしたら、もっともっと他者とコミュニケーションをとった方がいいのかもしれません。

 

政治、経済、社会、社会、音楽、映像、マスコミ、などなど、ありとあらゆるジャンルや業界、組織など、多くのところで、この囚人のジレンマ的なことが起こっているのは事実です。現実です。(ここは多くは語りませんよ。。)

 

完全なる答えや解決案は出すことは難しいですが、私個人の考えとしては、
やはり、互いにコミュニケーションをとって理解し合う、裸になって話し合うという意味で、組織や業界などの大きなかたまりの「可視化」というのも、解決のための大事なポイントになってくると思っております。

 

コミュニケーション、可視化

 

これで結構、大小、いろんな問題がクリアになると思うんだけどな。
(まあ、それが難しいのか、、)

 

おっと、、「囚人のジレンマ」というワードからどんどん派生して、わーって思いつきで長文になってしまいました。

 

私もがんばって、裸で曲を書いていきます!(意味違う!笑。夏場の今のシーズンは結構そうだけど^^)

 

ではでは

 

遊びで、いちにのさんでプールに飛び込もうと言って、誰かが抜けがけしないように手をつなぎ合って飛び込むなんてことは昔よくありました。この例えは、遊びの話ですが、物理的にも心的にも手をつなぐということは絆という意味にも置き換えられます。大事ですよね。(囚人のジレンマの解決のひとつのポイントですね)間違っても、手をつなぐ代わりに、手錠でお互いを結んだりしないでくださいね。それは絆ではなく、単なる強制です。。^^;

ちなみに、囚人のジレンマをさらに、誤解を恐れず端的に言い換えるなら、

自分が善悪の選択、相手も善悪の選択を迫られた時、
自分の利益の順位が、1位が悪善(自他)、2位が善善、3位が悪悪、4位が善悪、となる状況です。
結構、こういう状況になることって多いのではないでしょうか。

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