学生数が多い大学の学生は視野が狭くなる?多様性の逆説、盲点、おもしろさ
【衝撃の実験結果】学生数の多い大学と少ない大学、視野の狭い学生を生み出しがちなのはどっち?|多様性の盲点
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20191114-00000003-courrier-sctch&p=1
・カンザス大学の学生数は3万名、他の5校の大学の学生数は1000名前後
・大学内で形成されるソーシャルネットワークの差異を調査
・結果、カンザス大学で形成されたソーシャルネットワークは、性質や信念だけでなく政治的・道徳的信条、偏見のあり方に関して同質的だった
・つまり、大規模な共同体の一部となった場合、人はより狭いネットワークを構築する傾向
・カンザス大学は多様な人間は大勢いるものの、同時に自分とよく似た人間もかなりいるので、同じ考えを持つ人と一緒に過ごしたいと考える人間からすると、同質なソーシャルネットワークが形成されやすい(逆に、少数の大学だと自分と同じような人を見つけるのが困難)
・ネットの世界でも同様なことが起きている(自分と同じような人とだけつながっていく、自分の同意できる意見ばかり流れてくる、自分の見たいものだけを見る、最悪の場合、排他的になっていく)
以上、記事引用参考
人間は磁石のよう
学生数が多い大学の方が同質的で狭い視野のソーシャルネットワークが形成されやすい、というのはおもしろいですね。でも、説明されてみると、確かにそうかもしれません。
人間は好きな人、好むものにどんどん吸い寄せられる磁石
、、のようなものなのかもしれません。
嫌いな人や嫌いなものに好き好んで近づく人はそうはいないですからね。^^;
磁石は集まれば集まるほど磁力が強まります。それはよく言えば、結束力や絆。でも、悪い方向に行くと、排他的、暴力的な力にもなりうると思います。(嫌いな人や自分たちの反対意見に対して)
学生数の多い大学でこういうことが起きるのですから、ネット世界なんてもう、すごいことになるのは容易に想像できます。
自分の「好き磁石」や「同意磁石」によって、世界中のネットから自分の好きや同意を引きつけ、集めていきます。
自分の好きな服を着て、好きな食べ物を食べるなどなど、いろいろ考えて行くと、ある意味では、人間というのは「自分の好きの塊」できているのかもしれません。
それは悪いことではないですが、上のようなことを考えると、自分の視野は狭くなっていないか、それを助長するような同質的なソーシャルネットワークになっていないかなどなど、少々気をつけないといけないなと思わされます。
情報無限時代の昨今、事実や真実にたどりつくためには、ニュートラル(客観的、多様)な視点が必要だと思っています。
磁力が強まれば強まるほど、そんなニュートラルな視点もおそらく得にくいでしょう。
自分の磁力はいかほどか、ニュートラルになれる余地はあるか。
たまには、立ち止まって考えてみるのもいいかもしれません。
ではでは
思い返して見ると、大人数のコミィニティに属しながらも、ニュートラルで多様な視点を持っている人に対して、私はいつも一目おいているような気がします。