責任能力問題過剰。

また無差別事件が起きましたね。そして責任能力があるかないか。。正直、日本は「責任能力」過剰のような気もしないこともないです。
責任能力

 

・責任無能力・・・責任能力が存在しない状態(心神喪失など)

・限定責任能力・・・責任能力が著しく減退している場合(心神耗弱など)

 

心神喪失と認定されれば、責任能力がないことになるので、無罪になります。被害者からすれば、耐えがたい判決になりますが、心神喪失とされた者の割合は50万人に1人になるそうです。これを低いと見るか、高いと見るか。。(wikipediaより)

 

心神耗弱と認定されれば、刑が減軽されます。裁判で心神耗弱とされた者は10年間平均で80.4名だそうです。

 

 



 

 

注目したいのは、心神喪失や耗弱の例として覚醒剤常用者が含まれていること。酩酊状態だったから責任能力に欠けるという論理には到底納得はいきませんよね。それをいったら、飲酒運転で人身事故を起こした人が責任を問われることもおかしいことになってしまいます。飲んだこと自体が問題なら、薬だって、やったこと自体が問題。責任能力の認定のおかしさがこの点でも垣間見えます。

 

変わり者が犯罪を起こしても、責任が問われない風潮は本当に危険な世の中だと思います。責任能力を語る例として、赤ちゃんが何かの拍子に人に傷を負わせたとしても、それは責任能力がないからと言います。でも、これは、赤ちゃんは一般社会の中で生活しているのではなく、保護、観察された状態であるからこそ、責任能力がないのではという考えにもなるわけです。これを置きかえれば、いくら変わり者だっとしても、一般社会で生活している限り、一般人と同じ責任を問われるのは当然とみるのが筋だと思います。

 

今回のバスの無差別事件だって、理由がリストラされたからって、馬鹿げてます。

 

 無差別イコール責任能力問題、バラバラ殺人イコール責任能力問題という構図はもうそろそろおしまいにしてはどうかと個人的には思いますね。

 

ではでは。

 

 

 

アミ:「身も心もきれいにしないとな。」
私:「誰がきれいにしてやってると思ってんだ。」
風呂上がりのアミちんでした^^

 

 

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