抽象的=全体的?

今週の金曜日29日、お店にまたまた取材が来ます。なんと、あの報道ステーション!(テレビに映りたい方はご来店お待ちしております^^混雑している方がお店的に都合がいいらしい)久米さんがやっていたニュースステーションから変わって、はや2年以上になりますが、なかなかの視聴率を今も維持しているとか。ニュースステーション、懐かしいですね。一部、ニュースステーションを終了させた原因として、所沢野菜ダイオキシン問題が言われたりもしていますね。(言い換えれば、久米さんの発言に振り回されるテレビ朝日という事例の代表的なものかな?)久米さんが所沢の「葉物野菜」に高いダイオキシンの数値が出たと言ったことにより、所沢の野菜が一気に売れなくなり、価格が暴落し、所沢の農家がテレビ朝日に対して、損害賠償を請求する裁判を起したという流れの問題ですが、最終的な決着として、テレビ朝日が農家側に和解金1000万円を払っています。これを見ると、あたかもテレビ朝日側に問題があるように聞こえますが、一概にも言えないのですな。「葉物野菜」と抽象的に久米さんが表現したのは、実は、ダイオキシンの数値を計った研究所が農家のことを配慮して、特定の農作物の名前を挙げなかったことが、この「葉物野菜」という抽象的な表現を生んでしまったのです。そして、この抽象的な表現が、逆に農家全体を指すようなイメージ(具体的に表現すれば、逆に一部の被害で済んだのかもしれないのです)になり、所沢農家全体に大打撃を与えてしまったのです。結果として、確かに所沢農家に被害が出ましたが、安易な報道のせいとは一概には言えないのです。こういうことを考えると、マスコミって本当に難しいというか、恐ろしいと思いますね。ちょっとのことが、どのように、どれだけ影響を及ぼすかわからないところがありますから。この問題を視点を変えて見れば、強盗事件の犯人像として、「外国人風の、、」と報道してしまえば、すべての外国人がある意味、容疑の対象になってしまうわけで、ヘタな情報を提供できないわけです。かといって、言葉少なげ、情報少なげ、というのもまた、問題で、マスコミはどんどん問題提起、追及をしていかなければならない立場もあるのであります。・・・と、と、と、いつの間にか、マスコミ論というか、うだうだ、書いてしまい、私自身の頭から煙が出てきました^^とりあえず、一気に話は戻って、当店の今度の放送に関しては、音楽のことなので、ヘンな誤解も被害も出ないはずです。音楽は言語を超えたコミュニケーションですから^^なんて。


アミ:「事件だ!事件だ~!」スタタタタ!
現場に急行するアミちん。
私:「ちょ・ちょっと、置いてかないで。。」

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