親も知らない子供たちの秘密基地は今の時代も存在するか?

広島のに続いて茨城でまた小学生殺害事件が発生しましたね。なんとも、どういう時代なのかと考えさせられます。大阪での小学校校内での惨い殺人事件で、校内でのセキュリティがいろいろと議論されましたが、今度はさらに登下校の安全をよりいっそう考えなければなりませんな。(前から問題にもなってますが)幼稚園の時のように親が子供たちを送り迎えするという形にしたほうがいいのかもしれません。(こういうことが続くとね)でも、親の送り迎えでは子供たちの道草(寄り道)などの冒険というか、生活の不確定要素が少なくなっていくような気がします。不確定要素=リスクとも考えられますが、これらをすべて排除してしまうことにも少し問題も感じます。(人間の幅が変わってくると思いますよ)かと言って、放っておくわけにもいかないこういう状況(時代)でもあるわけで。。。そういえば、この前、一人でゲームセンターの乗り物に乗っていた子供に「ひとりなの?」と声をかけました。すると、子供はびっくりするように逃げ出して行ってしまったわけなのですが、親からの教育がしっかり行き渡っているというか、なんとも寂しいというか複雑な気分になりました。(とにかく逃げろという感じ?^^)子供をリスクから完全に遮断するのもまた大事なのかもしれませんが、社会の中の(こんなような)リスクを少なくしてあげることが大人の私たちの使命でもあるような気もしますね。逆に言えばリスクだけが不確定要素じゃないわけで、不確定要素を楽しめられるような安心できる社会を子供たちに提供してあげたいものです。話しかけた子供と私との間に何が生まれるかもわからないわけで、、笑い?怒り?悲しみ?思い出?ハプニング?何かが残る?まあ、逃げ出してしまえば、何もありませんわ^^別に子供やその親を責めてるわけじゃなく、ただ、寂しかったわけなんです。。


な・なにかいる!
食卓ではいつもアミちんがテーブルの地平線から潜水艦のごとく鼻を突き出します^^ふんふん!

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