赤福から「価値」というものを考える。

赤福餅の偽装が世間を騒がしておりますが、やはり、先日たい焼きの話をしたようにあんこ好きの私にとって、この問題は見逃せない問題であります。赤福餅は無添加で当日生産販売というものを売りにして、営業をしていたのですが、それがまったくの嘘ということで、冷凍保存をしていたものを使用とか、回収したものを再利用するとか、添加物も使っていたとかとか、食品業界においてありえない実態が浮かんできました。築いてきた伝統や信頼は長年培ってやっと成り立つものですが、それを失うのは一瞬、ひとつのきっかけなんですねえ。。消費者をなめるなという記事が目立ちますが、悲しいかな、それを許してきたのは消費者の舌でもあるような気もします。当日生産販売、無添加という情報を信じ、おいしい、おいしいと消費者が食べ続け人気が出ていたわけで。。事実、私も赤福をおいしく頂いてました。そもそも、(おいしいという)価値ってなんだろうということも考えてしまいます。当日生産販売やら無添加ということで通常の食品と違って、そこに希少性が発生し、それによってただ私たちの中においてその価値が上がってしまったのではないでしょうか。私たちの舌が判断した価値ではないような気がします。(見方によっては、添加物が入ってたりしてもおいしいと感じてたわけなんで、舌が判断した価値であるかも、う〜ん)よく、養殖より天然、普通のキノコより松茸がおいしいと世間は認識してますが、それさえも本当の価値を表しているのか疑問に感じてしまいますね。養殖の「味」より天然の「味」、普通のキノコの「味」より松茸の「味」がおいしいと本当に私たちの舌は判断しているのでしょうか。希少性というところからその価値を判断していないでしょうか。もし、希少性をそのままに松茸の味と普通のキノコの味が入れ替わったとしても、私たち(の舌)は変わらず、「松茸の味」を評価し、そこに価値を見いだすのでしょうか。私は自信はありません。希少性というものに流され、価値判断を見誤るかもしれません。まあ、うだうだ書いてしまいましたが、今はみんな糾弾している赤福はちょっと前までみんなおいしいおいしいと食べてたわけなんで、そういうことを考えると、何が価値があるかって本当にわからないってことなんですよね。不二家や白い恋人や例の鶏や、いろいろと発覚しており、日本の食品業界に激震が走っておりますが、そういうものに対しての私たちの舌がどれだけ主体性を帯びず、受け身の価値判断になってしまっているかが浮き彫りになってしまっているような気もします。(まあ、添加物とか入ってる入ってないとか、消費期限とかわかるはずはないけどね)つまらん話をすんません。ではでは。


アミ:「がぶがぶがぶ。なんでもいいからもっとくれ〜!」
アミちんの価値は「質」より「量」にあり^^

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2件のフィードバック

  1. rio より:

    こんにちは。
    わたしは赤福の「当日生産」にずっと疑問を持っていたので、自分用にもお土産用にも買ったことはありませんでした。”無添加で当日生産、しかも原材料はすべて国産”という和菓子が、全国のデパートやキヲスクで売られ、しかも一度も”売り切れ”を見たことが無い。「いくらなんでもそれはおかしいだろ」と感じでいました。
    赤福はごくありふれた和菓子です。ブランドイメージで買ったり、周りがおいしいというからそうかなと感じたりしていた方が大半なのでは。
    逆に言えば、消費期限をすぎた”解凍赤福”でも「おいしい」と感じていた人たちがいたわけですよね。この事実は、ブランド食品や消費期限の意味を改めて問い直すものだと思います。

  2. ガタ より:

    こんにちわ。
    コメントありがとうございます。
    確かに、無添加当日生産で全国のデパートやキヲスクで販売というのはおかしいですね。
    私たち日本人は少し情報を鵜呑みにしすぎかもしれませんね。
    頭から疑うというのはどうかと思いますが、食の安全や信頼のために、チェック機能をもっと強化することは絶対に必要ですね。

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