靖国問題(問題はブームにしてはならない)

昨日の新聞はやっぱ、小泉首相の靖国参拝についてばんばん書かれてましたねえ。この靖国問題、この時期になるといつも世間を騒がしくします。(8月15日を過ぎれば、一気にその熱も冷めていきますが、ここで、今さらながら、あえて、この問題について書きましょう。)戦争から61年の月日が経ちます。その間、首相や官僚は靖国神社に何回も参拝しています。それでは、その61年の間、ずっと日本は中国や韓国から靖国参拝について非難されてきたかというと、そうではありません。発端は、昭和60年に当時の首相の中曽根氏が「公式」という形容で参拝したことに対して、中国が抗議したというところからです。(公式というのがNGなわけですね)で、今、よく言われているA級戦犯合祀問題。これについては、昭和53年に合祀されたそうなのですが、その時は特に中国を含めた近隣諸国からの抗議は皆無だったそうです。これだけ見ていると、参拝についての抗議は、所詮、中国や韓国の外交カードなのかというふうに考えてしまいたくもなりますが、そうとも言い切れないのがこの問題の複雑なのところ。この問題は心の問題でもあるのです。首相を含めた日本国民は人は死んだら、みんな仏になるという宗教観というか文化があります。(国のために死んでいったものへの気持ちとかね)その一方で、侵略され愛する者を失った被害者からすれば、加害者が祀られている神社に国のトップが参拝することは耐え難い苦痛である気持ち(心)もまた理解できなくもありません。例えば、原爆投下を指示したトルーマンやその司令官たちを神として祀り、そこへブッシュ大統領が毎年8月6日に参拝したら、どうでしょう。被爆者を含め、日本国民は猛批判ですね。また、ドイツでヒトラーを神として祀り、そこへ首相が参拝したら、その近隣諸国はどう思うでしょう。これらは、極端な例ではありますが、少なくとも、戦争によって傷を負った人たちにとって、戦争責任者の霊を参拝する首相の姿は不快に思うのは当然かもしれません。靖国問題は、多くの矛盾点がありますし、多くの人たちの立場、意見、気持ちが絡んでいます。ただ、思うのは、今、政治家(日中韓)が取り上げる靖国問題は、(加害者、被害者の気持ちを汲んで)解決しなければならない問題という視点というよりは、外交カードとしての色が濃いようにしか見えないのは私だけでしょうか。


私:「さぁ、ご先祖様に手を合わせますか。、、っとと、それは足なんだけど、セクシーだから許そう。。」

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