2011年、総括。

2011年も本当に残りわずか。

 

今日は総括ということで、いつにも増して思うがままの内容なので、あらかじめご了承ください。(長いです。すみません)

 

先日も2011年いろいろありましたねと記事に書きましたが、改めて、ふりかえると、今年はやはり、東北大震災のことが一番の出来事だと思います。私個人的には愛犬のアミが亡くなったことですね。(私の中では勝手に大震災とアミの死はリンクしております)

 

アミは本当に私にとって心の支えでしたので、1ヶ月以上何もできませんでした。今でも、寝込んでいたアミに少しでもいい気をあげようと一晩中アミに手をあてていた時、私の方をみつめてきたあのアミの瞳を思い出すと涙がこぼれます。(何か言いたかったんだろう。ありがとう?苦しいよ?)

 

しばらくかなり落ち込み続けた私でしたが、結局、へこみ続ける私をアミは見たくなんかないだろうと思い奮起したわけです。今は、思い出して悲しくなりそうな時はこう思うようにしています。

 

「今はアミは痛くなんかないし、苦しくないんだ」ってね。他界した母の時もそうでしたが、故人や故犬?笑、を思い出すとき、どうしても、最期の時のことを思い出しがちなような気がします。

 

だけど、当たり前のことだけど、それはすべて過去のこと。終わったこと。

 

アミは今は笑っているのか、はしゃいでいるのか、特別な力のない私にはわかりませんが^^

 

とにかく、あのときの苦しみは、アミにはもうないってそう考えるだけで、なんかちょっと気が楽になるのです。

 

失った悲しみはなかなか拭いきれませんが、失うまでの悲しみ、苦しみ、言ってしまえば、死に至までの苦しみは、アミや召されたものにはもうまとわりついてないってことを再確認する感じでしょうか。

 

一匹の犬がなくなっただけでこんなにぐしゃぐしゃになっている私です。被災され大切な方を亡くされた方たちのことを考えると想像を絶します。

 

ただ、もし、故人に対して申し訳なさや悔やむような悲しみにまだまだ苛まれている方がいるのであれば、私の勝手な発想ですが、「今は召された方にはもう痛みや苦しみなんてないんですよ」なんてことをなんとなく声をかけてやりたいような気になります。

 

もちろん、召された方々が今は笑っているのかはしゃいでいるのか私にはわかりませんがね^^

 

かなり、当たり前のことを言っていますが、思うがままなんでご勘弁を^^(無神経だと気分を害されたらごめんなさい)

 

とにかく、今は被災され残された方々が心配です。ご自分を大事してくださいと強く言いたいですね。アントニオ猪木じゃないですが「元気があればなんでもできる」と本当にそう思います。とりあえず、元気になってからいろいろ考えましょう。その元気のサポートをみんなでしていきたいですね。

 

と、もう既にとりとめのない感じになっていますが、とりあえず、被災者は元気になろうとして、私たちまわりは元気になってもらろう!で行きましょうってことです。(無理やりまとめます。。)

 

 



 

 

すでに長々ですが、もうひとつだけ。

 

大震災から原発の問題が発生しました。今はTPPの問題もありますね。ということで、今年はいろいろ意見が衝突した年でもあったと思います。

 

お互いが良い悪いと意見を対立させているわけですが、そこから少し派生させて善悪ってなんだろうと考えさせられる年でもありました。(そんな感じのつぶやきも結構してしまいました)

 

結論から言ってしまえば、善悪なんてものはないのかもしれないです。

 

なぜなら、所詮は善悪は主観的だから。

 

ちょっと、おもしろい例えを考えつきました。

 

夏場のエアコンです。寒がりの人は設定温度を上げたがります。暑がりの人は設定温度を下げたがります。お互いの主張は暑いから、寒いから、と両方ごもっともですが、善悪なんてありません。(政治などの組織での善は大体平均温度のことをさすと思います)温度でたとえるならば、なおさら善も悪もグラデーションであり、あいまいだと本当に思いますね。

 

ただ、善悪なんてないとは言いましたが、もしあるとすれば、それは歩み寄る気持ち、工夫する気持ちをさすのかもしれません。エアコンの件でいえば、寒がりが一枚何かをはおるとかですね。

 

相対する意見や考えに善悪はありませんが、それらを解消すべく、思いやる気持ち、そのものが善なんじゃないかと今は思います。

 

なんで思いやるのか

 

相手が喜んでくれるから。笑ってくれるから。

 

こんなふうにこの世はたいてい主観的善ばかりです。(戦争は究極だね)客観的、普遍的善(神様?)なんて正直私たち人間にはわからないことなのかもしれませんが、あえて善と言ってもいいかもしれないものは、こういった、思いやりの部分かもしれないと、改めて、私は思うのでした。

 

誰かの笑顔をイメージしてみんながなにかをなせば、世の中はもっとよくなるんじゃないかと。(漠然ですが)

 

家族の笑顔、友人の笑顔、それらをイメージして生活するだけでも十分。だって、ひとりひとり半径10mでも笑顔にすることができたなら、70億人もいる世界中は一気に幸せに満ちあふれるでしょ?

 

私自身は対した力も影響力もありませんが、そんなことを考え、2012年も自分の手の届く狭い範囲で笑顔を作りだしていきたいと思っております。

 

ただ、政治家など、影響力が広くて多大な人はそれなりの半径の広さの笑顔を考えて、行動して頂きたいと願います。霞ヶ関だけが笑うという狭い半径で考えて行動することだけは勘弁してほしいですね。

 

大震災のせいで?おかげで?物事を考える、変える大きなきっかけが生まれました。

 

私だけじゃなく、多くの人がいろんなことを見つめた年だと思います。

 

そんな大きな年だったからこそ

 

2012年は2011年のあのせいでこうなった、、ではなく、

 

2012年は2011年があったからこそ、こんないい年になったと思えるようにしたいですね。

 

時にはバカをやって、時には真剣に、

 

すべては、誰かの笑顔のために。(バカは笑わしてくれるし、真剣ももちろん、誰かが喜んで笑ってくれるからね)

 

そして、自分も笑うんだ〜 ぐはぐはぐは笑

 

相手だけ、自分だけ笑ってたって意味ないでしょ

 

そうそう。昔私が書いた詞の一節にもそんな感じのがありました。

 

『ひとり笑っていても、笑い合えなきゃ意味がない』笑うんじゃなくて、笑い合いたいですね

 

本当に長々と失礼しました。

 

2011年、一年間、アミまこブログにおつきあい頂きありがとうございました。来年2012年もどうぞよろしくお願い致します。よい年を〜

 

ではでは

 

 

久々のアミちんの写真。やっぱ、かわいすぎる。
ありがとう、本当にありがとうでした。またね。

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