機会費用損失で退屈感が決まる?やはり、人間はギャップや比較で感じる生き物なのか
【「娯楽がないほうが退屈を感じなくて済む」という実験結果が発表される、一体なぜなのか?】
https://gigazine.net/news/20200607-coronavirus-lockdown-feels-less-tedious/
・A「ほとんど何もない部屋」、B「パソコンなど、退屈をまぎらわせる物が置かれた部屋」、2つの部屋で「15分間、何もせずに過ごすように」と参加者たちに指示
・結果、暇つぶしができるパソコンなどが置いてあったB部屋の参加者の方が、「退屈だった」と答える傾向が強かった
・違反者(指示に反して、立ち歩いたり、パソコンで暇をつぶすなど)の割合はA部屋15%、B部屋25%
・これは機会費用という概念が深く関わっていると推測。機会費用とは、最大の利益を生む選択肢とそれ以外の選択肢との利益の差を表す概念
・つまり、A部屋は、そもそも暇をつぶせる物もないので、「部屋の中の物で暇をつぶす」という行動と「何もせずに過ごす」という行動に差がなかったため、退屈をそれほど感じず、一方、B部屋は暇つぶしできるPCがあったにもかかわず、何もしない選択肢を選ばされたので、機会費用の損失が大きくなり、より強く退屈感を感じた
以上、記事引用参考
やはり人間はギャップ、比較で感じる生き物なのか
機会費用とは、最大の利益を生む選択肢とそれ以外の選択肢との利益の差を表す概念
おもしろい概念です。
新型コロナ でみんなが自宅に閉じこもりました。機会費用の観点からすると、もしかしたら、普段は感じている孤独感や退屈感を感じない人は多かったのかもしれません。(どうせ外に出ても、外食できる場所も、遊べる場所もなくて、外出の利益と引きこもる利益の差があまり生じなかったから)
もう少し丁寧に説明すると、
コロナ 前は、最大の利益(外に楽しいこといっぱいある)、それ以外の選択肢の利益(それなのに部屋にひきこもっている)、この差はとても大きいので、退屈感や孤独感をとても感じやすいです。
でも、コロナ 自粛期間は、最大の利益は小さくなり、両者の差が小さくなった分、退屈感や孤独感を感じにくくなった。(その人が普段、どういう生活をしていたかにもよりますが)
この機会損失の考え方は、ある意味、ギャップ感、比較感のようにも感じます。
退屈感以外にも適用できるかもしれせんね。
<最大の利益>/<それ以外の選択肢の利益>
<もっと楽しいことがあるはずなのに><現状(選んだものは)楽しくない>
<もっと幸せなこと(場所)があるはずなのに>/<現状(選んだものは)幸せじゃない>
とかとか、これも機会損失的な考え方のような気がします。
ただ、重要な点は、比較する「最大の利益」が現実なのか、空想なのか、という点です。
上の実験において、最大の利益(PCで暇をつぶせる選択肢)は現実です。でも、「もっと、楽しいこと、幸せなこと」という最大な利益は空想であり、現実ではないことが多いです。
つまり、勝手に最大の利益を大きく設定してしまい、機会費用の損失を大きくしてしまい、つまんないと感じたり、不幸感を感じている人は結構いるのではないかと思うのです。
機会費用とは、最大の利益を生む選択肢とそれ以外の選択肢との利益の差を表す概念
その利益の差が大きいほど、その感覚が大きくなる
今、自分が感じている感覚を機会費用の概念で見つめてみるのもおもしろいかもしれませんね。
・自分にとっての最大の利益の選択肢とは?
・その最大の利益は現実?空想?
・それ以外の選択肢の利益(実際、自分が選んだ利益)とは?
・それ以外の選択肢の利益の評価は本当に正しいかどうか(分析)
などなど、いろいろチェックできると思います。
ではでは
ちなみに、人間は痛みよりも退屈の方が耐えられない、という話もあります。今の新型コロナ の状況も、もしかしたら、国民が退屈に耐えられなくなって、痛みを受け入れる時がいずれ来るかもしれませんね。