もう断言して良いでしょ。ストラディバリウスは現代バイオリンと大差ない。(研究結果)
【ストラディバリウスよりも現代のバイオリンのほうが「良い音」と軍配が上がるブラインドテストの結果が判明】
http://gigazine.net/news/20170509-evaluate-new-old-italianiviolin/
・音楽の経験に関係なく、聴衆は古いバイオリンよりも新しいバイオリンを選び、さらに新しいバイオリンの方がより音を遠くまで飛ばしている(=響いている)と判定した
・演奏者と聴衆の両方とも一貫して新旧のバイオリンを聞き分けることができなかった。
・現代の新しいバイオリンの方がより良い音がすると判断する人が多かった
つまり、新旧のバイオリンは大差がないどころか、新しいバイオリンの方がむしろ良いという研究結果。(とあるテレビ番組の中の実験で、ストラディバリウスの響きの形はいびつで、新しいバイオリンは響きが一定している、というのを観たことがあります。オーディオ機器の発達により、安定した響きを聴くのに慣れた現代人には、響きが一定な新しいバイオリンの方が馴染むのではないかと私は勝手に推測)
大差がないという研究結果はこれまでもたくさんあります。もう断言して良いでしょう。
新旧のバイオリンの音に大差はないと。
改めて思うのは、
私たちは中身や本質を客観的に評価することなんてほとんど無理で、イメージや思想などのフィルターに必ず左右されるのです。
もっと違う言い方をすれば、
私たちはコンテンツという目的語よりも、発信者という主語に重きを置いているのです。
今回の例で言えば、
ストラディバリウス(主語)の出す音(目的語)
ストラディバリウスだから良い音がするだろうという思い込みに、私たちは左右されるのが実情なのです。世の中はこういうことで溢れていますよね。
・ビトンなど高級ブランドのバッグ
・ミスチルなど人気アーティスト、自分がファンであるアーティストの最新曲
・天皇陛下や首相など、お偉いさんのお言葉
などなど
バッグも音楽も言葉も、それらの価値は主語によって決まると言っても過言ではないかもしれません。
そうそう、音楽で思い出したのですが、海外の大物ミュージシャンが名前を伏せて、CDをリリースしたら、全く売れなかったというのを思い出したました。笑(現実はそんなもんです。)
もちろん、主語ですべてが決まるわけでもありません。主語と目的語(内容)が相重なってトータルの価値が決まるのですが、主語の比率がとても大きいという話。
実際、たとえば、このブログを小学生が書いているとか、無職のプータローが書いているとか、イメージしてみてください。一気にこのブログの文章の捉え方が変わってくるでしょう?
そう考えると、
供給する側は、主語を強化することがどれほど大事かを認識した方がいい。(簡単に言えば、ブランディング)
受け取る側は、主語に左右されていると自覚しながら、目的語(内容)を冷静に客観的に見つめた方がいい。
私自身も、
小形誠という主語で何か価値が生まれるように、よりいっそうがんばります。^^;
ではでは
クラシック業界に限らず、ポップス業界でも、古い楽器神話のようなものはあります。ビンテージシンセとか、コンソール機材とかとか。たまに「ビンテージ○○の音の方が全然音が良いし、かなうはずがない」と言う人の話を聞くと辟易とします。そもそも、音楽は良い悪いじゃなく、好きか嫌いかの世界だと思う私にとって、ビンテージ楽器優秀ありきの言論が大嫌い。ビンテージ音源の方が好きとか言うのならわかるんですけどね。新旧のバイオリンも音楽機材もすべては良い悪いではなく、好きか嫌いかなだけ、「それぞれ特性がある」と考えるべきだと私は思います。