音楽をちょっと追求して考えてみた。
音楽と日々向き合っているといろいろなことを考えます。感性的なこと、理論的なこと、ビジネス的なこと、歴史、文化、などなど。たぶん、音楽に限らず、仕事をされている方やひとつのことに携わり続けている方は、こうやっていろんなことを考えるのではないでしょうか。
そんな、音楽的思案にふける中、ちょっと気になったこと、思ったことが今日のお題です。音楽ネタなので、興味のない方はスルーしてくださいね。w
ギターのチューニングをする時、A(ラ)の音を基準に行います。これはクラシックでもそうですよね。(オーケストラは442Hzだったりすることも)Aの音=440Hzです。これは音の振動数です。1Hzだと1秒間に1回の振動数ということです。細かい説明はネットへGO!(手抜き^^)高い音になるつれて振動数が増えて、低い音はその逆で振動数が減ります。
そこで、私はなんで440Hzが基準なの?って思ったわけです。例えば、メートルは子午線弧の長さの10,000,000万の1という基準から生まれたという起源があります。他の単位も同様だと思います。だから、440Hzが基準になった原因を知りたくなりちょっくら調べました。
そしたら、都市伝説のようなおもしろネタが出てくる出てくる。笑
例えば、こんなサイト
http://www.symphonic-net.com/imacocospace/sun/sumisumi/2011/02/432hz440hz.html
http://pumipom.jugem.jp/?eid=572
ちょっと、この辺の内容を説明してたら、たぶん1週間以上書き続けなければならないので割愛します。w
少しだけピックアップすると、
○強力な権力(陰謀)によって440Hzの基準が決められてしまった?
○440Hzは実は平均律では割り切れない音程が出てくる不完全な周波数である?
○クラシックなど、昔の人はすこし違う周波数や音階を使用していた?
などなど
ちなみに、平均律とは12の音階を完全12等分した音階のこと。現代の音楽はほぼこれで成り立っています。平均律に対して純正律というのがあって、これは微妙に等分ではなくうねりがある音階になっています。(平均律はモーツァルトの時代からだとか)
あ、音階の説明しただけでも長くなっちゃいますね。。
とにもかくにも、440Hzは良くなくて、432Hzがいいよとか、444Hzがいいとか、数学的、スピリチュアル的、いろんな視点でいろいろと賛否あります。
そして、私が思ったこと。
「やっぱり生演奏は大事」
機械が出す音は完璧な音階で出されます。一方、人間の出す音、歌やギター、弦楽器や管楽器などは、不安定な音です。
実際、開放弦でギターをチューニングした後に、フレットを抑えて音を出すと、微妙に音程はずれています。(機械で値を計算)歌なんて、もっと不安定です。
だから、もしも440Hzの音階に不協的要素があったとしても、不安定音階の生演奏でやる限りそんなに関係ないかな?って思ってしまいます。逆に、不安定であるからこそ、音階にズレが生じ美しいハーモニーが醸し出されることもあるのではないかと思います。実際、プロの音楽家、演奏家はその辺を体感しながら、不安定な生楽器を演奏していると思うのです。
もしも440Hzの機械音だけで音楽が作られたら、人に不協和感を与えるかもしれません。(よく言えば興奮感?)ジョンレノンは少し低いチューニング(432Hz?)で音楽を奏でていたから、人に癒しを与え、共鳴を生み出したのかもしれません。でも、正直、真実はわかりません。
ただただ言えることは、人間、演奏するのだって不安定、体感するのだって不安定。だから、シンプルに感覚的に心地よさを求めて行けばいいじゃんってね。(難しいことはまあ置いておけ^^)
こんな感じで、音楽理論など、ひとつのことを追求していくと、やっぱり、音楽は感性だよと、結局はシンプルな答えに戻ってきます。(すべてのことに言えるかも)
そもそも、体の7割が水でできている私たちですから、そんなに数学的にきっかり、音楽とかをとらえなくてもいいのかなって思ったりもします。
つかみどころのない水。不安定な中に心地よさを。ただ、水は濁さず、清らかに。そんな感じかな?あ~、漠然。w(すんません適当で)
ではでは、長々と音楽家の戯言にお付き合いありがとうございました。