信じる心を与える「信頼遺伝子」を発見。自分という定義、アイデンティティを考えさせられる。
【人に信じる心を与える「信頼遺伝子」を発見】
https://nazology.net/archives/152119
・デンマークのコペンハーゲン大学(UCPH)で行われた研究により、見知らぬ人を信じる力を与えてくれる「信頼遺伝子(PLPP4)」の存在が明らかになった
・PLPP4と呼ばれるたった1つの遺伝子の働きの違いが、他人を「信じる力」の6%を説明していることが判明
・人間の体格差に大きな影響を与える遺伝子として「FTO」と呼ばれる遺伝子がよく引き合いに出されるが、この遺伝子がもたらす差はわずか0.34%に過ぎない
・身長や体重といった物理的特性よりも遥かに複雑な「信じる力」が、たった1つの遺伝子によって6%も上下しているという結果は、驚異的とも言える
・これまでの研究により、見知らぬ人を「信じる力」が強い人々は、疑い深い人に比べて寿命が長く、心血管疾患のリスクが低いことが示されている
・研究者たちは信頼遺伝子(PLPP4)が何らかの形で闘争・逃走反応システムの働きを和らげるのではないかと予測している
・見知らぬ人への信頼が強い人は、神経症・抑うつ症状・うつ病・ADHDなどになる傾向が低くなっていた
・もし将来的に、信頼遺伝的の働きを強化する薬を作ることができれば、心臓病を予防したりうつ病の改善を促せるようになるかもしれない
自分という定義、アイデンティティを考えさせられる
人を信じる力、そんな力を与える「信頼遺伝子」
とても興味深いです。
今後、ゲノム解析が進むにつれて、このように、どの遺伝子がどんな役割や機能を持っているかが、どんどんわかってくるでしょう。
遺伝子解析により、いろいろな遺伝子の役割や機能が特定できれば、それに伴った遺伝子治療も視野に入っていきます。
悪い言い方をすれば、そういう遺伝子をいじることもできるようになるわけですが、
こういう話を聞くと私はいつも思うことがあります。
何をもって(何を根拠に)、自分というものは定義されるのだろうか。アイデンティティとは?
たとえば、
私の信頼遺伝子をいじることで、私の信頼する性格や性質がレベルアップしたとしましょう。ついでに、愛情遺伝子や共感遺伝子もいじって、レベルアップしてもらったとしましょう。
遺伝子操作のおかげで、私は信頼性も愛情も共感性も高い、人間になることができました。
しかし、その遺伝子操作された私は、小形誠という人間に変わりないのでしょうか?以前と同じように、自分と定義できるのでしょうか?
私、個人的には、定義しづらいのではないかと思っています。
医療の発達のおかげで、整形も簡単にできますから、まったくの別人のような顔にすることもできます。でも、顔は変わっても、自分は自分と定義できそうですよね。
臓器移植もできるようになりましたから、
心臓や肝臓、いろんな臓器を別の人からもらうこともできます。
極論、体のパーツのほとんどが別の人のもので構成されたとしても、頭部や脳が自分のものであれば、自分は自分と定義できそうな気がします。
ただ、性格や人間性などの部分を遺伝子的にいじるとなると、
自分という定義が少し曖昧な感じなってきてしまう気がするのは、私だけでしょうか?
まあ、あくまで、これは、私の個人的な考えです。
自分とはなんだ?
自分という定義は?
を考えた時、
私は、「自分とは、自分の思想や考え方、人間性や性格」だと思っているので、、上記のような考え(疑問)になるのだと思います。
いずれにせよ、
今後、上記のような性格や人間性に影響を与える遺伝子はどんどん発見されるでしょう。
そのような発見たちを横目に、
私は変わらず、自分とは?アイデンティティとは?を問い続けることになるでしょう。それが、小形誠という人間だから。(自分らしさ、アイデンティティ)^^
あなたはどう思われますか?
ではでは
たとえば、別の誰かの人生に生まれ変わったら、今の小形誠のような人間になることはできるのでしょうか?たぶん、不可能に近いでしょう。極論、政治家の子に生まれれば、政治家になっているかもしれません。そう考えると、またまた、違う次元において、「自分らしさ、自分とはなんだ?自分という定義はなんだ?」といろいろと考えさせられます。