テクノロジーの発展で人間の脳が変わる?便利追求で、無駄は本当にいらないのか?無駄の中にこそ、、

テクノロジーは脳を「考えない」構造にする:研究結果
http://wired.jp/2015/04/08/technology-changes-our-brain/

 

今日は音楽友達のACOちゃん(spoon+)のワンマンライブでした。(下北沢モザイク)
http://spoon-web.net/home/

 

音楽と映像のコラボ。とっても素敵でした。あと、彼女のMCの中で「無駄という無駄を集めて、作り物をして、、贅沢ですよね」というようなくだりがありました。謙遜する彼女なりの言葉だと思うのですが、いろいろと考えさせられました。

 

上の記事の内容は簡単に言えば、
インターネットやパソコンなどのテクノロジーの発展のせいて、人間の能力が衰えてきているというもの。

 

考えてみれば、当たり前ですよね。
わからないこと、忘れたことはスマホですぐ調べる。→使わない記憶力→記憶力の低下
技術の発展による人間の能力の低下は、インターネットなどのITに限らない話だと思います。

 

例えば、
自動車→脚力低下、電卓→計算力低下、エアコン→体温維持機能低下、除菌→免疫力低下、などなど数え切れません。。

 

「便利」とは、「しなくてもよくなること」「簡単にできるようになること」。極端に言えば、やはり上の記事で述べているように、「便利とは人間から能力をどんどんそぎ落としていくこと」なのかもしれません。

 

いずれ、人間のすべてのことをロボットがしてくれる時代がくるでしょう。(自動作曲のシステムも既に存在します)

 

その時、私たち人間は「どう生きる」のだろうか。

 

、、なんてことを、ライブ帰りのラーメン屋で友達と話し込んでました。^^;

 

 



 

 

いろいろ便利になった世の中では無駄をどんどん省いていくことが当たり前。そんなご時世、彼女の「無駄を集めて、、」という言葉が私にはなんとなくキラリと光って見えました。

 

未来の人たちからすれば、私が必死に作曲していることも無駄に見えるかもしれません。
それでは、便利になったら、作曲やめるか?と言われればやめません。

 

なぜなら、それが生きがいであり、やりがいだから。

 

たぶん、「無駄」という言葉を違うふうに言うならば、「あえて〜する」ということなのかもしれません。

 

そう、もしかしたら、
人間らしさ、生きがい、やりがい、というものは「無駄」「あえて〜する」というところにあるのかもしれません。

 

手作り料理、ケーキなどが、良い例えかもしれませんね。(ただ美味しいものを食べる目的なら、、ね)

 

気持ちを込めて、あえて、何かをする。

 

みなさんはしていますか?

 

ではでは

 

 

 

ライブ後のラーメンは、同級生が店長の味噌屋八郎商店(新宿)にて食す。
http://www.nantsu.com/store2/
店長不在だったけど、いっぱいサービスしてもらっちゃった♪そうです!気持ちを込めて、あえて、ラーメン大盛りにしました!(なんでやねん)便利もいいけど、無駄も楽しまないとね。今日のブログは友人スペシャルブログでした。笑

 

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2件のフィードバック

  1. Mie より:

    はじめまして
    無駄のお話、楽しく読ませていただきました。
    取るに足りないかもしれないけれど自分にとっては大切なもの…なのかもしれませんね(^ ^)

  2. ガタ より:

    Mieさん
    はじめまして。読んでくれてありがとうございます。
    そうですね。人様の無駄が自分には大切なもの、逆に、自分の無駄が人様の大切なものになることもあるかもしれませんね。だから、すべて(の無駄)を大切に味わった方がいいかもしれません^^

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