命のリレーと言っていいのか?やっていいのか?
臓器移植法改正4法案のうち、脳死を人の死と認め、15歳未満の子どもからの臓器提供を可能にする案(A案)が大差で可決されました。これもまた、難しい問題ですね。
たぶん、自分が臓器を提供する側、提供される側の立場にそれぞれ身を置いたら、それぞれの立場の考えに傾くことは必至でしょう。それほど、どちらがどうと言いにくい問題でありますね。
実際、問題は山積みです。
・「臓器提供の意思を示している人に限るべきだ」が52%と過半数を占めるなど、死の定義の変更に、国民的な合意があるとは言いきれません。
・脳死判定、特に子どもの判定の難しさが挙げられます。
・移植数の拡大に対応しきれない可能性が高いという声も。
・虐待されて脳死状態になった子どもが、本人の意思とは関係なく臓器提供の対象になる恐れがあるといったケースまで考えられます。
ちなみに、脳死と判定されて意識が回復する確率は10の16乗分の1以下だそうです。
一般的に科学とかの分野では10の20乗分の1以下の確率は0と見なす事になっているようですから、0とは言いきれないということになりますね。
この確率を低いと感じるか、そう感じないかも、それぞれの立場で大きく変わるでしょう。
心臓死との関連、死というものの概念を深く考えさせられる問題であります。
「心臓が脳を動かしているのか、脳が心臓を動かしているのか。」
一般的に、人の死は心臓が止まった心臓死を指してきました。法律に定められてはいませんが、医師が(1)心臓停止(2)呼吸停止(3)瞳孔の散大--という三つの兆候を確認して判断し、国民がそれを受け入れてきました。これに対し脳死は、人工呼吸器などで心臓は動いているものの、脳の機能が失われて治療しても回復しない状態を指します。
どんな角度、視点から見ても難しい。。
みなさまは、何を思いますか?
アミ:「むむむ・・・。」
珍しく考え込むアミちんでした。