【「死んだ土」が6年間も呼吸し続けた?】
https://www.quantamagazine.org/the-dirt-that-refused-to-die-20260601/?utm_source=chatgpt.com
記事の要約
・研究者たちは、土の中の微生物をガンマ線照射などによって死滅させ、生命が存在しない状態の土壌を作りました。
・ところが、その土壌は生命が死滅した後も、酸素を消費し、二酸化炭素を放出する反応を長期間続けました。
・しかも、その状態はなんと6年間観察されています。
・研究チームは、土壌中の鉱物などが触媒となり、通常は生命の細胞内で起こると考えられていた代謝に似た化学反応が、生命が存在しなくても起こり得るのではないかと考えています。
・この研究は、生命が誕生する以前にも、現在の生命活動につながるような化学反応が地球上で起きていた可能性を考えるうえでも興味深いものです。
・ただし、研究者の間では、死んだ細胞から残った酵素などが反応を続けている可能性も指摘されており、「完全に生命とは無関係の化学反応だった」と決着したわけではありません。
【「何もない」って、本当に何もないの?】
https://www.quantamagazine.org/in-quantum-mechanics-nothingness-is-the-potential-to-be-anything-20260105/?utm_source=chatgpt.com
記事の要約
・量子力学における「何もない=nothingness」という、かなり哲学的にも感じられるテーマ。
・たとえば、箱の中から物質をすべて取り除き、完全に空っぽにしたとしても、量子力学ではエネルギーを完全にゼロにすることはできないと考えられています。
・これは「ゼロ点エネルギー」と呼ばれるものです。
・量子の世界では、粒子や場を完全に静止させたり、エネルギーを完全に消したりすることができません。
・そのため、「真空=完全な無」という私たちの日常的なイメージとは違い、量子力学における真空は、何もないように見えても、そこにはエネルギーや量子場が存在していると考えられます。
「ない」なんて、本当にない?
「生きている」と「生きていない」。
「ある」と「ない」。
私たちは、なんとなくこの2つをはっきり分けて考えています。
でも、今回、そんな境界線をちょっと考えさせられる記事を2つ読みました。
ひとつは、生命を取り除いた土壌が、その後も6年間にわたって酸素を消費し、二酸化炭素を放出し続けたという研究。
微生物を死滅させた土なのに、まるで何かが活動しているかのような反応が続いたそうです。
もちろん、「土が生きていた」という単純な話ではありません。
生命がなくても、生命活動に似た化学反応が起こる。
つまり、
「生きていない=何も起こっていない」
とは限らないわけです。
もうひとつは、量子物理学に関する「何もない空間」の話。
こちらも考え始めると、なかなかややこしい。
「何もない」と思っている空間も、本当に完全な「無」なのか?
そもそも、物理学における「真空」は、私たちがイメージする「完全な何もない」とは違います。
この2つの記事を読んでいて、思ったのです。
「ある」と「ない」って、私たちが思っているほど、きっぱり分かれていないのかもしれない。
たとえば、
「生きている」と「死んでいる」。
人間なら比較的わかりやすいですよね。
でも、今回の土の話のように、
「生命はいない。でも化学反応は続いている」
まあ、人の死も考えてみれば、人間の体の中の細胞や微生物たちは生きていたりします。
そう考えると、急に境界線がぼやけてくる。
じゃあ、
生命って、どこからどこまで?
となります。
そして、ここからまた、いつものように話を大きくしてしまいます。^^
「生命」と「非生命」の境界線が曖昧なら、
「魂がある」と「魂がない」の境界線も曖昧と言えるかもしれない。
私は最近、iMacを買い替えました。
古いiMacは、なんと13年間使っていました。(デスクトップパソコンの平均寿命は5年〜7年)
このiMac、私にとって相棒です。
朝、仕事を始めるときには、
「今日もよろしく」
夜、作業を終えると、
「今日もありがとう」
と声をかけていました。
(個人的には、こんなふうに感謝を伝えることがモノを長持ちさせる秘訣だと思っています)
もちろん、Macから返事はありません。笑
でも、13年間一緒に仕事をしてきた。
その間に、たくさんの音楽を作った。
たくさんの時間を過ごした。
そう考えると、私にとってこのMacは、もう単なる「パソコン」ではないんですよね。
物質として見れば、
ただのMac。
でも、私との13年間という時間を含めて考えれば、
そこには、私にしかわからない何かが存在している。
そう思えてしまう。
八百万の神様という考え方があります。
いろいろなものに神が宿るという、日本的な感覚ですね。
「Macに魂が宿っている」と証明できる術はないですが、
ただ、
「魂がない」と言い切ることも、案外難しいんじゃないかな
とも思うのです。
なぜなら、「魂」というものを、そもそも私たちは正確に定義できていないから。
上述してきたように、そもそも、「ない」って存在しうるの?成立しうるの?と思ってしまうから。
「ない」って、存在するんでしょうか?
完全な「無」。
何もない。
本当に何もない。
物もない。
空間もない。
時間もない。
法則もない。
……そんなものを、私たちは想像できるでしょうか。
「何もない」と言った瞬間、
「何もないもの」という何かを想像してしまっている。
なんだか、よくわからなくなってきます。
「ある」と「ない」の境界線を線引きする、、というように、線を引く時点で、「ない」って存在しえないんじゃないかと考えてしまいます。
そう考えると、
「ない」と「ある」。
「生きている」と「生きていない」。
「物」と「心」。
「魂がある」と「魂がない」。
これらは、私たちが便宜上引いているだけの境界線なのかもしれません。
本当の世界は、境界線のような線がなくて、もっとグラデーションになっているのかもしれません。
そして、その境界線の「あいだ」に、
私たちがまだ名前をつけられていないものが、たくさん存在しているのかもしれません。
このように思考を巡らせると、世界の見え方が少し変わりそうですね。
ちなみに、13年間使った私のiMacは、まだ「ない」ことにはなっていません。
今も私の横にいて、データを新しいMacへ引っ越し中です。
そして引っ越しが終わったとしても、
私の中では、たぶん「なくなる」ことはないでしょう。
……なんてことを、
「死んだ土」と「何もない空間」の話から、また大袈裟に考えてしまう私なのでした。
この世界、宇宙に「ない」なんてない??^^
ではでは