【AIを使って「動物と話す」ことは、私たちを賢く感じさせるかもしれない。でも、それは動物たちにとって何か意味があるのだろうか。】
https://www.theguardian.com/technology/ng-interactive/2026/sep/22/animal-language-recordings-ai
記事の要約
・AIを活用して、イルカやゾウなどの動物が発する音や行動を解析し、動物同士のコミュニケーションを解明しようとする研究が進んでいる。
・一方で、AIによって動物の言葉を理解できたとする主張には、科学的な裏付けが不十分なものもあり、研究者たちは誇張された解釈に警鐘を鳴らしている。
・AIが動物の音や行動のパターンを分析できることと、動物が何を考え、何を伝えようとしているのかを本当に理解することは、必ずしも同じではない。
・AIが導き出した答えを、私たちはどこまで「理解」と呼べるのか。動物とのコミュニケーションを通じて、AIの理解力や人間の思い込み、さらには動物の心の謎について考えさせられる。
以上が記事の要約
AIで動物と会話できるようになる?でも、それは人間の思い込みかもしれない
以前にも、「AIで動物と話せるようになる?」というテーマでブログを書いています。
このときは、愛犬と会話できるようになっても、「ご飯食べたい」「散歩行きたい」ばかり話していたら、それはそれで幸せなのだろうか? なんてことを考えました。
そして、
よくも悪くも、曖昧だからこそ、成立していた世界もある。
そして、言葉はその曖昧なものをハッキリさせる。
そんなことを書きました。
ただ、今回の記事を読んで、改めて思ったのは、動物と話せるようになる未来は夢があるけれど、そもそも、動物と話せるようになったという「答え合わせ」は、どうやってするのだろう?ということです。
記事にもあるように、何をもって動物の言葉を理解したということになるのか。これは、とても重要な点だと思います。
たとえば、日本語と英語。
これ、誰が最初に橋渡しできるようにしたんでしょうね?
そして、翻訳できるようになりたての初期段階では、どうやって答え合わせをしていたのでしょう?
想像するだけでも、とても大変そうです。
推測ですが、ジェスチャーや絵、表情、そして、やり取りの蓄積によって、徐々に日本語と英語の橋渡しができるようになっていったのかもしれません。
言葉そのものがわからなくても、目の前にあるものを指さしたり、同じ状況で何度もやり取りしたりすることで、少しずつ意味を共有していく。
そう考えると、言葉を翻訳するというのは、単純に単語を別の単語に置き換えるだけではないんですよね。
一方で、動物と人間では、同じように答え合わせができるのでしょうか?
人間同士なら、ジェスチャーや絵、文字など、意味を補足してくれるツールがたくさんあります。
しかし、動物と人間の間では、そうした共通のツールがどこまで使えるのかもわかりません。
そう考えていて、ちょっと怖いと思ったのは、人間側が勝手に、
「これは悲しいという意味だ!」
「これはうれしいという意味だ!」
と決めつけて、動物語を定義づけてしまうことです。
そんなことになったら、動物側としては迷惑ですよね。^^;
もし、そのようなことが起きたら、動物側が迷惑ですし、もしかしたら、動物側が人間の勝手に定義づけた言葉に寄せて、行動するようなこともあるかもしれません。
そうなったら、それはもう動物語というより、人間と動物の歪な関係から生まれた「第三の言語」なのかもしれません。
もっとも、動物が人間の解釈に合わせて行動を変えること自体は、ペットと暮らしていると、すでに起きていることなのかもしれません。
人間の言葉や表情を覚え、それに反応する動物たち。
それは、動物が人間の言葉を理解しているのか、それとも、言葉に伴う状況や行動を学習しているのか。
その境界線も、なかなか難しいところです。
あと、もうひとつ思ったのは、そもそも「動物語」ってあるんでしょうか?
サルなどの霊長類であれば、ある程度、複雑なコミュニケーションがあるのかもしれません。
ただ、多くの動物にとってのコミュニケーションは、人間のような言葉というより、
「危ない!」
「餌があるぞ、集合!」
「こっちに敵がいるぞ!」
といった、合図に近いものなのかもしれません。
もちろん、これも私の推測に過ぎないので、動物のコミュニケーションが単なる合図だけで成り立っているとは限りません。感情や関係性など、私たち人間にはまだ理解できていないものもあるでしょう。
それでも、主に同じ動物の集団を守ったり、集団生活を円滑にしたりするための合図があるのだとすれば、それらは、集団生活の中で受け継がれ、意味が共有されていくのかもしれません。
一方で、ペットのように、ほぼ一匹で人間と暮らしている動物はどうでしょう?
生まれたときから人間の世界で暮らしている場合、同じ種の仲間同士で受け継がれてきた合図を使う機会も少ないかもしれません。(というか、ほぼない?)
むしろ、人間の言葉や行動を覚え、人間とのコミュニケーションを身につけていく。(動物語ではなく人間語を覚えていく)
そう考えると、私たちが「動物と話したい!」と思うとき、実は動物語を理解したいというより、人間の言葉を使って動物と会話したいと思っているだけなのかもしれません。
動物と話すというテーマになると、私たち人間は、すぐに「ペットと話せるようになるかも!」と息巻いてしまいます。
でも、今回の記事にもあるように、
動物の音や行動のパターンを分析できることと、動物が何を考え、何を伝えようとしているのかを本当に理解することは、必ずしも同じではありません。
AIが動物の鳴き声を分析して、ある行動と結びつくパターンを発見できたとしても、それだけで、その鳴き声が人間の言葉でいう「悲しい」なのか「寂しい」なのか、はたまた、まったく別の概念なのかまではわからないわけです。
ですから、動物語を理解したと考えるのではなく、まずは、動物の合図や行動パターンを分析する。
そのくらいのところから、慎重に進めていく方が賢明なのかもしれませんね。
ここまで、動物語について思ったことを書いてきましたが、改めて、言葉ってすごいですよね。
いいことも悪いことも、いろいろなものを伝えます。
そして、言葉は民族間だけでなく、時間さえも超越します。
言葉があるからこそ、何百年、何千年も前の人間の知識や感情を、今の私たちが受け取ることができる。
言葉は、歴史そのものとも言えるのかもしれません。
たまに、SNSで、犬と猫、トラとライオンなど、動物の種族を超えて仲良くしている動画を見かけます。(癒されます^^)
でも、ふと思うのです。
「昔から、私は狩る側で、あなたは狩られる側だ」
「昔から、私たちはライバル関係だ」
「昔から、あの集団とは仲が悪い」
種族を超えて仲良くしている動物たちにはこのような概念がありません。
言葉がないから、歴史がない(認識がない)からこそ、
こうした動物たちは、人間と違って(笑)、種族や歴史関係なく仲良くできるのでしょう。
こうした動物たちは、そんな知識や歴史を持ち出して、相手を判断しているわけではないのです。
少なくとも、人間のように言葉で共有された歴史や固定観念に縛られているわけではありません。
そういう意味で、
動物たちは、そういう人間の世界とは、少し違う世界で生きているのかもしれません。
人間は、言葉があるからこそ、国同士で憎しみ合ったりもします。(もちろん、わかりあえたりもします)
本人同士が殴り合ったわけでもないのに、過去の歴史や、誰かから聞いた言葉によって、相手を憎むこともある。
言葉がなければ、そんな憎しみ(愛憎)は生まれなかったのかもしれません。
よくも悪くも、曖昧だからこそ、成立していた世界もある。
過去のブログでこう書いたように、言葉は、よくも悪くも、いろいろなものを明確にします。
そして、いろいろな知識や感情を、民族間、そして、時空さえも超えて伝えていきます。
“よくも悪くも”、と何度も書いてしまいますが、
言葉もツールのひとつですから、。
ツールである以上、メリットもあれば、デメリットもあるということです。
以上、上の記事とはまた違う意味で、
そんな言葉のメリットやデメリットを、人間の勝手で動物界に持ち込むことには、少し慎重になった方がいいのかもしれないと私は思ったのでした。
動物の言葉を理解できる未来は、たしかに夢があります。
でも、動物たちが何を考えているのかを、人間の言葉に置き換えて理解したつもりになるのではなく、わからない部分をわからないまま、大切にしておく。
固定観念のない世界で生きる動物たちを大切にする。(人間と言葉が通じる=動物が幸せ、とは限らないから)
そんな姿勢も必要なのかもしれません。
ではでは。
P.S. 言葉って、いろいろな知識や感情をどんどん共有して、自分と一体化させてくるものでもあります。
だからこそ、言葉(≒固定観念)に惑わされず、動物のように、自分という単体の生き物として、本当に思っている(感じている)ことは何なのか。
ときには立ち止まって考えてみることも、大事なのかなと思ったりもしました。