「一緒に笑う」と「誰かを笑う」は、同じ笑いでも全然違う?

【伸びる職場は「一緒に」笑う。 沈む職場は「誰か」を笑う。】
https://phys.org/news/2026-07-neuroscientists-reveal-limits-human-compassion.html?utm_source=chatgpt.com

記事の要約

・職場のユーモアは、単なる息抜きではなく、人間関係や組織の活力にも関わるコミュニケーションだという。

・ただし、笑いなら何でも職場を良くするわけではない

・人間関係を深め、挑戦しやすい雰囲気をつくるユーモアがある一方で、信頼を損ない、人を萎縮させるユーモアもある。

・重要なのは「どれだけ笑いがあるか」ではなく、その笑いが「誰と誰をつないでいるのか」

「一緒に笑う」ようなユーモアは人との距離を縮める一方、「誰かを笑う」ようなユーモアは、笑う側と笑われる側を分けてしまう可能性がある。



「一緒に笑う」と「誰かを笑う」は、同じ笑いでも全然違う?

 

記事にもあるように、

「一緒に笑う」「誰かを笑う」は、同じ「笑う」でも、まったく別物です。

 

別の言い方をすれば、

「笑い話」と「笑いものにする」

という感じでしょうか。

 

どちらも、その場では「アハハ」と笑っている。

でも、その笑いによって、人と人との距離が近づくこともあれば、逆に誰かを傷つけることもある。

(笑いの対象は何か?、笑う側と笑われる側のラインがどこに引かれているのかをよく確認することが大事)

 

ふと思ったのですが、

人間には「喜怒哀楽」がありますよね。

怒りや悲しみの場合、「誰に怒っているのか」「何を悲しんでいるのか」

という対象が比較的わかりやすいです。

 

ところが、

「笑い」って、対象が案外わかりにくいのではないでしょうか?

 

Aさんの話を笑っているのか。

Aさんと一緒に笑っているのか。

Aさんを笑っているのか。

その境界線って、意外と曖昧です。

しかも、笑いは感情そのものもわかりにくい。

大笑いだけではありません。

苦笑い、愛想笑い、引きつった笑い、照れ笑い、緊張したときの笑い……

「笑っている=楽しい」

とは限らないんですよね。

 

たとえば、

心で笑いながら怒る人はいないけれど、心で怒りながら笑う人はいます。

「ハハハ……

と笑いながら、心の中では、

「いや、全然笑えないんだけど……

と思っていることは普通にあります。

 

つまり笑いは、

感情を表すだけではなく、感情を隠すこともできる。

なんとも複雑です。

 

つまり、

笑いによってわかることもありますが、

笑いによってわかりづらくなることもあるのです。

改めて、笑いは奥が深い^^

 

ちなみに、

会食中の主な会話の内容は

笑い話・エンタメ 約40%
愚痴・悩み相談 約30%
業務連絡・真面目な話 約20%
お祝い・儀礼的な会話 約10%

パーセンテージは私の肌感覚です。笑

 

奥の深い笑いの取り扱いには是非、気をつけたいところです。

もちろん、笑う度に今回の様なことを考えていたら、楽しいものも楽しくなくなっちゃいます。

 

たまに、「この笑いは??」って意識してみるくらいで丁度いいかもしれません。

 

ではでは

小形誠(GATA)

作曲家・音楽プロデューサー

YUKI、乃木坂46、TOKIO、PUFFY等へ楽曲提供
AI・科学・人間心理などをテーマに、
最新研究や「人生が少し面白くなる知識」を発信しています。

🌐 公式ホームページ

🎬 YouTubeチャンネル

🎵 オリジナル楽曲