人はなぜ、大勢の悲しみに共感できないのか?

【人間の思いやりや共感には限界があると明らかに】
https://phys.org/news/2026-07-neuroscientists-reveal-limits-human-compassion.html?utm_source=chatgpt.com

記事要約

・イギリス、サセックス大学の研究チームが、人間の命に対する「共感」が、被害を受けた人数によってどのように変化するのかを脳活動から調査

・1人の命が危険にさらされるケースから、数万人が危険にさらされるケースまでを比較

人命については、被害を受ける人数が増えるほど、脳の反応が弱くなる傾向が確認された

・一方で、お金については、失う金額が大きくなるほど脳の反応も大きくなるという違いが見られた

海外で起きた出来事では、被害者が少ないときよりも、ある程度人数が増えたときのほうが反応が強くなるものの、非常に多くなると再び反応が弱くなる「逆U字型」の傾向も確認された



人はなぜ、大勢の悲しみに共感できないのか?

熊本での地震、そして台風によるさらなる被害。心が痛みます。

改めまして、この度の災害に対し、心よりお見舞い申し上げます。

皆様のご無事と、一日も早い復旧・復興を深くお祈りいたします。

 

1人」と「1万人」では、悲しみ方が違う?

熊本地震をはじめとして、政治、社会、国際問題など、私たちは毎日のようにたくさんのニュースを目にします。

そして、その中には、多くの悲しいニュースがあります。

そこで、ふと思ったのです。

はたして、それらの悲しみは、同じ感じ方なのだろうか?

たとえば、

「○○さんが亡くなりました」

というニュース。

それと、

「○万人が亡くなりました」

というニュース。

もちろん、後者のほうが被害としては圧倒的に大きい。

でも、私たちの感じる悲しみは、本当に1万人分になっているのでしょうか。

改めて考えてみると、

「○○さんが亡くなった」

というニュースのほうが、悲しみを強く感じることがあるような気がします。

何万人という被害者のニュースを見ても、いつの間にか、それが「数字」として見えてしまう。

今回の記事を読んで、その理由を少し考えてみました。

 

人間の感情は「ストーリー」とつながっている?

私が思うのは、

人間の感情は、ストーリーと紐づいている

のではないか、ということです。

たとえば映画。

映画を観て感動するのも、主人公のストーリーがあるから。

主人公がどんな人生を歩んできたのか。

どんな人と出会ったのか。

何に苦しんできたのか。

何を大切にしてきたのか。

そういうことを知っているから、感情移入する。

 

もし映画を観る前に、

「この主人公は最後に死にます」

とだけ教えられたとしても、「へえ、そうなんだ」

くらいで終わってしまうでしょう。

でも、その主人公と2時間一緒に過ごして、

笑ったり、

苦しんだり、

喜んだり、

悲しんだり、

そういうストーリーを見た後なら、

同じ「死ぬ」という出来事でも、まったく感じ方が違う。

つまり、

ストーリーがある=立体的、奥行きがある、リアル

なのかもしれません。

反対に、

ストーリーがない=平面的、紙の上の情報、数字

になってしまう。

そんな気がします。

 

1万人」ではなく「1人」を想像する

誰かが亡くなったニュースなら、

「この人には家族がいたのかな」

「どんな人生だったんだろう」

「どんなことが好きだったんだろう」

など、その人の人生を自然と想像することがあります。

でも、

「戦争で1万人が亡くなりました」

となると、

1万人分の人生を想像することはできません。

あまりにも多すぎる。

だから、

人間 数字

へと変換されてしまうのかもしれません。

でも、そこに、

「その中の一人の人生」

というストーリーが加わった瞬間、

数字だったものが、急に人間に戻ってくる。

そんな感じがします。

 

悲しみの共有は、優しさを生む?

私は、悲しみの共有は、優しさを生むと思っています。

そう考えると、

「何万人が亡くなりました」

という全体の事実を伝えるニュースももちろん大切ですが、

それとは別に、

一人の人間にピントを合わせた情報

も、とても大事なのかもしれません。

たとえば、

「戦争で何万人が亡くなりました」

だけではなく、

その戦争によって家族を失った人のドキュメンタリー。

どんな生活をしていたのか。何を失ったのか。

今、どんな気持ちで生きているのか。

そういうものを見ることで、

1万人」という数字が、「一人ひとりの人間」として見えてくる。

もちろん、こうした個人のストーリーは、プロパガンダなどに利用される危険性もあります。

一人の悲劇を強調することで、見る人の感情を意図的に誘導することだってできるでしょう。

なので、これはこれで難しい問題ではあります。

 

情報を受け取る側にもできること

そして、これは情報を伝える側だけの問題ではないとも思います。

情報を受け取る私たち自身が、

どれだけ「奥行き」を持って情報を見ることができるか。

これも大切なのかもしれません。

1万人が亡くなった」

というニュースを見たとき、

1万人か……と数字だけで受け止めるのではなく、

その1万人にも、

家族がいて、

友人がいて、

仕事があって、

好きなものがあって、

昨日があって、

今日があって、

そして、明日やりたいことがあった。

そういう人生が、それぞれにあった。

そんなことを少し想像してみる。

それだけでも、同じニュースの見え方は変わるのかもしれません。

 

人間は、すべての悲しみを感じることはできない

とはいえ、

世界中で起きているすべての悲しみに、一つひとつ感情移入することなんて、もちろんできません。

毎日のように、戦争。災害。事故。事件。病気。貧困。

いろいろな悲しいニュースが入ってきます。

それらすべてを、自分のことのように感じていたら、心が持たないでしょう。

だから、

「数字」として処理してしまうことも、人間が生きていくための仕組みなのかもしれない。

そんな見方もできる気がします。(実際、脳は省エネ設計)

だからこそ、

全部を背負う必要はないけれど、

たまには数字の向こう側にいる「一人」を想像してみる。

それくらいでもいいのかもしれません。

 

数字の向こう側に、人間がいる

今回の記事(研究)は、

人間の共感には限界がある。

ということでしたが、

私たち自身の想像力を上げることで、その限界を少しくらい突破することもできるかもしれない。

そんなことを考えました。

1万人を1万人分、悲しむことはできない。

でも、その1万人の中にいる「一人」を想像することなら、できる。

そして、その一人にも、

自分と同じように、

人生があった。

そう考えると、

1万人」という数字が、少しだけ立体的に見えてくる気がします。

悲しみを共有することが、優しさにつながるのだとすれば、

この世界に優しさを増やすために、

ニュースを見る私たちにも、

数字の向こう側にいる人間を想像する

ということくらいは、できるのかもしれませんね。

以上、上の記事を読んで、またおおげさに考えてしまう私なのでした。

 

ではでは

小形誠(GATA)

作曲家・音楽プロデューサー

YUKI、乃木坂46、TOKIO、PUFFY等へ楽曲提供
AI・科学・人間心理などをテーマに、
最新研究や「人生が少し面白くなる知識」を発信しています。

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