科学の進歩、数値判断のこわさ

社員の「うつ」、血液で見抜く。早期発見へ
http://www.nikkei.com/article/DGXNZO69636370Z00C14A4X11000/

 

血液検査や近赤外線などによって、その人が本当に鬱なのかそうじゃないかがわかると言うのです。

 

これ、ちょっとこわいなと思いました。

 

遺伝子情報解析のヒトゲノムとも関連してくると思うのですが、体の中の成分や数値や配列で、その人は「ガンになりやすい」とか「IQが高い」とかとか、人間の多くの事をデータで判断してしまうということに私は少し抵抗を感じます。

 

私、実は、少々痛風っけがあるのですが、痛風かそうじゃないかの基準値は尿酸値が7という数値です。(7以上は痛風)

 

でも、これはあくまで基準値ですから、7以上の数値で元気に過ごしている人もいれば、7以下の人でも症状が思わしくない人もいると思います。

 

数値はあくまで基準。

 

症状が出てくるまでの沸点の差、そして、自覚症状、精神状態などを複合的に考えると、数値が7以上か以下かで単純に白か黒かを安易に判断することはできないと思います。(余談ですが、泣くという沸点も人それぞれ。しかし、感じてる苦しみ、悲しみの強さは涙では計り知ることはできませんよね。)

 

だから、いくら診断正答率が9割だとしても、この記事の中で言うEAPという数値がいくつだから「はい、あなたは鬱」です、というのはいかがなものかと思うのです。

 

しかも、痛風ですと診断されるのと、鬱ですと診断されるのとでは、また意味合いが変わってきそうですよね。生活に大きな影響を与えそうですし、何より、1割の誤診断を受けた患者は大変なことになってしまいます。

 

鬱なのに、鬱じゃないと診断された人

鬱じゃないのに、鬱だと診断された人

どちらも悲劇だと思います。

 

 



 

 

大げさな話、遺伝子レベルで多くが解明されれば、裁判上で被疑者を検査にかけて、データ上で「この人は嘘をついている」とか言って、犯人と断定する時代もくるかもしれません。

 

その正答率が9割だとしても、裁判上でそういう検査、判断を行うべきか否か。(100%の正答率検査などありえるのか?)

 

少し、話がぶっ飛んでしまいましたが、何が言いたいかというと、

 

ネット上では「この検査で鬱だと嘘をついているやつをあぶり出せ」的な意見もありましたが、、

 

科学的進歩は弱者を追及するものではなく、弱者を救うものであるべきだということ、また、ビッグデータ、数値の解析、分析が当たり前の世の中ですが、それはあくまで「傾向」に留めて、「判断」は人間が複合的にするものであるべきだということを私は強く言いたいです。

 

数値的な判断だったら、コンピュータにやらせてしまえばいいだけの話。でもそうなったら、人間の存在価値や意義もなくなってしまいますがね。^^;

 

データがすべて、数字(数値)がすべて、結果がすべて、
そういう世の中ではありますが、その結果によって、だれが喜ぶのか喜んだのか、誰を幸せにするのかしたのか、などなど、結果から派生するものをもっと見据えていくような世の中になっていったらいいなと、深夜の作曲家は思うのでした。

 

ではでは

 

 

 

白か黒かが大事ではなく、白のためになることは何か、黒のためになることは何かが大事だと思います。そもそも、絶対的な黒や白なんてありはしないのだけどね。いずれにせよ、数値による白黒判断はこわいですな。

 

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