音楽という不完全言語だからこそ。

ジャズミュージシャンにとって、文字通り「音楽は言葉」であると判明(米研究)
http://woman.mynavi.jp/article/140306-155/

 

即興中のジャズミュージシャンの脳の働きを分析した結果、話す時に使う部分の脳が活性化していたそうです。

 

音楽家の端くれの私は、この研究結果をとても興味深く感じましたし、自分の中でいろいろと納得する部分がありました。

 

この記事の中で、

 

(記事引用)

人間が会話をするためには、自分の話す言葉を組み立てる「統語」と、人の話の意味を受け取る「語義解釈」の2つの脳の働きが必要です。ミュージシャンの演奏中には「統語」の分野で脳が活発に活動していたものの、言葉を理解する分野はほとんど働いていませんでした。

 

、、とあります。

 

つまり、言葉のように音楽を発することはできますが、言葉として音楽を受け取り理解することはできない、ということです。(まあ、受け取れるはずがないけどね、、)

 

もっと噛み砕くと、音楽という言語はスピーキングはできるけど、リスニングはできない、という感じかな。

 

 



 

 

少し話を変えて、、、

 

私がたまに人に話すことがあります。

 

「音楽は誰のものか?

音楽は作った人や演奏する人のものではないのです

音楽は聴いた人のものなんです」

 

音楽家がいくら音楽で悲しい海の景色を表現しても、聴く人によっては、山をイメージしたり、大事な人の死に目をイメージしたり、喜びの感情を抱く人だっています。つまり、人それぞれ受け取り方が違います。(それぞれの感性があるから当たり前)だから、音楽は聴いた人のものなのです。(リスナーがどういう音楽かというのを決める)

 

研究結果なども踏まえて、こういうことを考えていくと、音楽で伝えたい内容をそのままリスナーに伝える、という考え自体がそもそもおこがましいのかもしれません。

 

私は近頃思うのです、、

 

「伝える音楽」、よりも、「感じてもらう音楽」を目指すことの方が正解なんじゃないかと。

 

どれだけ伝わっているか、ではなく、どれだけ感じてもらえているか、感情を喚起させられているか、感動してもらているかが重要だと思っています。(それがどういう感情だっていいのです。)

 

そのためには、やっぱり感情、心を込めて作らなきゃなと改めて思います。(強いものを込めれば、強いものを喚起する)

 

もちろん、音楽を作る時は自分の中には強烈な自分のイメージがあります。(内容は企業秘密。笑)もちろん、そのイメージをリスナーが共有することなんてあり得ません。でも、その音楽がリスナーによって様々な感情や感動という色で多彩に輝いて行くと考えると私はうれしいです。

 

研究結果によれば、言葉のように音楽は紡げるが、言葉のように音楽を理解することはできない。いわば、音楽は相互理解ができないコミュニケーションツールのようにもとれますが、それでいい、いや、それがいいんじゃないのと勝手に熱く語る音楽家の端くれの私なのでした。(音楽はリスナーのものですから)

 

音楽を発する時は具体的。音楽を受け取る時は漠然的。うん、これでいいんだよ、きっと。

 

研究内容に感化されて、ちょっと熱く語っちゃいました。すんません。

 

ではでは。

 

 

音楽を聴き始めたばかりの子どもには、ロックもバラードも全部が笑っちゃう感じかもしれませんね。そう、そこで流れる音楽は誰のものでもなく君のもの。君にとってはすべて笑っちゃう音楽。それでいいじゃない。(そこに著作権とかは関係ないね)

 

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