GDPに代わる「豊かさの指標」が構築、提案されつつある。指標との向き合い方。

【ついに本格的に、GDPに代わる「豊かさの指標」が構築されるー特集「THE WORLD IN 2023」】
https://wired.jp/article/vol47-the-world-in-2023-measuring-our-true-riches/

 

・国連事務総長のアントニオ・グテーレスは、多くの公害や廃棄物を生み出す国ほど評価が上がるGDPを経済指標に使うのはもうやめようと訴えた。「森を破壊するとGDPが上がる」とグテーレスは言う。そして「世界の現状を踏まえると、GDPで豊かさを測ることはできない。循環型・再生型の経済に移行する必要がある」とも。

・1934年に発案されたGDPは、「一定期間内に国内で産み出された物やサービスの付加価値の合計」と定義されるが、戦時中に政府が戦車の購入費を捻出するために導入された経済指標だった。それゆえ、そもそも社会福祉の指標として使われることは意図されていない

・実際、多くの経済学者は、不平等や空気の汚染などの社会的側面を無視するGDPを、時代遅れで無謀な指標として否定している。

・食糧危機とエネルギー危機という未曾有の嵐が吹き荒れる2023年には、世界各地の政治家が重い腰を上げて、GDPに変わる経済指標を採用し始めるだろう。

・GDPに代わる複合指標については、多くの経済学者が提案。その例として、ブータンの「国民総幸福量(GNH)」、国連環境計画(UNEP)の「包括的な富指数(新国富指標)」、経済協力開発機構(OECD)の「より良い暮らし指標」などがある。

 

 

以上、記事引用参考

 

 



 

指標=ひとつの視点、見方にすぎない。指標との向き合い方。

 

日本のGDPは過去30年において、ほとんど増えてないとか、最近のニュースで言うと、今年、日本のGDPがドイツに抜かれて4位に転落しそうだとかとか、

このように、GDPという指標はニュースでもよく取り上げられます。

でも、これって、戦前の1934年に発案されたものなんですよね。

そんなに古い指標をいつまでも使用していることは、確かに、おかしいことなのかもしれません。

 

ブータンの「国民総幸福量(GNH)」の指標もよく耳にします。じゃあ、GDPに代わって、これからはGNHで世界を見ていこう、、というわけにもいかないと私は思っています。

 

GNHはそのまま、他の国に適用できるような指標(基準)ではないこと。ブータンの指標と実態とで乖離している部分もあること、などなど、GDP同様、GNHにも問題点はいくつかあるようです。

 

こういう話を聞いてて、私が思うことは、

 

人の幸せや豊かさの形は、時代とともに多様化、複雑化したのだから、

国の幸せや豊かさの形も多様化、複雑化していると考えられます。

だから、国を計る指標も、いろいろあっていいではないでしょうか。

 

、、ということです。

 

私の自論に、

 

真実は多面体だから、いろんな角度から見つめないと、真実の形はつかめない

 

、、というものがあります。

 

たとえば、三角錐があったとしましょう。横から見れば三角、真上から見えれば円に見えます。いろんな角度から見ることで、やっと三角錐と判明すると思います。真実はそういうものなので、一方向(ひとつの指標)だけで見ててもわからないということです。

 

なので、GDPやGNHのような指標は、ひとつの角度の見方、視点と考えればいいと思っています。

 

日本という国を見る時、GDPの視点ではこうなのね。GNHの視点ではこうなのね、という感じです。

 

指標は一つの視点であり、そこには価値観も含んでいます。何の指標を重要視するかで、何に価値を置くのか、ということも決まります。

 

その点も重要ですね。

 

そういう前提で、私たちは指標と向き合っていかないといけないのではないかと私は思うのでした。

 

ではでは

 

知能指数もIQが使われてましたが、今はEQとかAQとかもあります。もしも、今、あなたのIQは〇〇ですと言われても、「IQ的にはそうなのね」と思うだけですし、「あなたはIQを重要視するのね」と思うだけです。指標はそういう向き合い方でいいのだと思います。

 

 

 

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