がたいが良い人は思いやりがないことが判明?人間の人格形成、人生形成について勝手に考えてみる。

身体的魅力に勝る男性は自己中心的で平等意識に欠けるとの研究結果
http://irorio.jp/kondotatsuya/20150214/204808/

 

がたいの良い人には嫌な研究結果ですね。^^;

 

他者への思いやりや平等意識に影響を与える要素として「富」が取り上げられることは多かったのですが、(高級車に乗っている人ほど歩行者に道を譲らないなど)
今回の研究で、身体的魅力度が高い人ほど、利己的行動をとる傾向があるということもわかったようです。

 

でも、この研究結果、想像してみると、なんとなくそうかもなあと思ってしまいます。^^;

 

思いやりや平等意識は「相手の立場に立つ、気持ちになる」とも言い換えられます。
その相手とは弱者を指すことが多いかもしれません。

 

思いやりや平等意識を持つためには、本当の意味で弱者の気持ちになれないとダメですよね。つまり、弱者になったことがないとダメかもしれません。
だから、身体的に優れいてる人、富を有する人は、そういう傾向にありやすいのは当然かもしれません。

 

 



 

 

ただし!!
がたいが良い=思いやりがない、と決めつけるのは早合点です。
少し言い換えましょう。私はこう思います。

 

生まれた時から身体的に優れいている人、その状態を通常運転で維持している人は思いやりや平等意識は芽生えにくい?(富も同様)

 

つまり、懸命に努力をしてその体を手にいれた人は別だと思いますし、元々がたいが良かったとしても、そこからそれ以上にもっとがたいを良くした人というのもまた違うと思います。(維持するために努力している人も同様)

 

つまり、思いやりや平等意識を左右する要素において、
「現状の立ち位置が高いか低いかが大事なのではなく、今の立ち位置までにどういう経緯を踏まえてきたかが重要だと思うのです。」(上昇度が高いほど思いやりは形成されやすいかも?)

 

簡単に言えば、
苦労や努力をしてきたか。(わお!簡単!それを最初に言え!笑)

 

苦労=苦しむ=弱者のような気持ち、ということにもなるかな?
「今がすごい」も、もちろん大事ですが、それよりも「今までどう成長してきたか」が大事なのかもしれませんね。

 

「今までどう成長してきたか」は思いやりや平等意識においても大事ですが、
もっと大きな視点においても大事なことかもしれませんよね。

 

人はみな、それぞれ違うスタート地点(環境やさだめ)で生まれます。
ゴール(死)までにどれだけ成長できるかが人生の醍醐味かもしれません。
X軸Y軸の座標をイメージして考えると、スタート地点からゴール地点まで、どれだけ長い線を引けて、どれだけ太い線を引けるか、結果、その面積の大きさが、人生の深みや成長度を示していることになるのかもしれません。

 

話はどんどん脱線していきますが、笑

 

2月16日は母の17回目の命日でした。

 

17年前の甘えん坊の自分からどれだけ成長できたか、いつもこの時期考えさせられます。

 

現状のありさまを人さまと比較するのも結構ですが、やはり、過去の自分と比較することの方が意味は大きいのではないかと思う今日この頃。この記事を見ても思うのでした。

 

「今、すごいマッチョです!」より、「ここまでマッチョになりました!」と言える自分でありたい、とね。笑

 

そうであれば、身体的魅力がありながらも、人間的魅力もあり(思いやりあり)、魅力的な人生も送れるのではないでしょうか。

 

長々と語って失礼しました。

 

ではでは

 

 

ちなみに、女性の場合は身体的魅力と利己的行動の関連性は認められなかったそうです。ここまで語っておいてなんですが、、やっぱり、女性は分析しきれないですね。わからん。。苦笑

 

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