変化する幸せと変化しない幸せ。
研究結果:不幸に遭遇しても、幸福レベルは元に戻る。
http://www.lifehacker.jp/2015/10/151024_Impact_Bias.html
記事によれば、
脊髄を損傷して下半身麻痺になった人と宝くじに当たった人。
この二人の幸福度が1年後には同程度になっていることが明らかになったそうです。
なんでそうなるのかの理由は、この記事の中で2つの教訓として述べられています。
1、私たちは変化するものばかりに目を向け、変化しないものを忘れてしまう
確かに、私たちが嬉しいととか悲しいとかの感情を抱いて、幸、不幸を感じる時は何かが変化した時なんですよね。変化しないものに対して、いちいち嬉しいとか悲しいとか感じることは少ないと思います。だからこそ、下半身麻痺や宝くじの当選金の事柄もひとつの「変化しないもの」として、忘れて行ってしまうのでしょう。簡単に言えば、「慣れ」ですね。
2、こうした変化は特定の事柄の妨げになっても、人間としてのあなたの妨げになるわけではない
例えば、下半身麻痺でも、読書はできるし、美味しい料理を食べたり、サッカー観戦をすることだってできます。ひとりの人間の人生を考えた時、その出来事や体験は膨大(無限大)なものであり、下半身麻痺や宝くじ当選金の要素は、人生の比率で考えればちょっとしたことなのかもしれません。だから幸、不幸感が和らぐ?
以上の2つの要因によって、不幸なことが起きても、幸福なことが起きても、幸福度というものは一定期間である程度のところに落ち着くようです。
経験上、なんとなくわかりますよね。(たくさんの悲しいこと、うれしいことを思い出してみると、そうですよね^^;)
ただ、下半身麻痺の人と宝くじ当選者の幸福度が同じくらいになるというのは少々驚きです。(人間のしくみ、人生のしくみって本当におもしろい)
ところで、
うれしい「変化」が幸せと言うなら、幸福であり続けるためには変化し続けなければならないのか。
そんなことはないですよね。(疲れちゃいますよ)
記事の中で主に述べている幸福というのは、変化の幸せ、動的幸せ。
幸せにはもうひとつあって、不変の幸せ、静的幸せがあります。
もう言いたいことがわかる方もいらっしゃると思いますが、不変(静的)の幸せとは「当たり前の幸せ」というものです。
変化(動的)の幸せは、自分の基準よりプラスの波がくれば幸せ、マイナスの波がくれば不幸と感じて決まります。一方、不変(静的)の幸せは変化の波がなくても幸せです。それは、自分の基準を下に下げた、常に幸せ状態を言います。(波のない水面でも、常に水面が上にある状態で幸せ)
基準を下げれば、小さなプラスの波でもすごい幸福感を味わえるので、変化の幸せにおいても、不変の幸せにおいても両方満足となるわけです。
まあ、なんだか当たり前のことを小難しく書いているだけのような気がしてきましたが、やはり、変わらない幸せを感じることはとても大事なことですよね。
なぜ、この辺のことをくどく書くのかというと、
ひとつめの教訓の「変化するものばかりに目を向け、変化しないものを忘れてしまう」という言葉にいろいろと考えさせられたからです。
「今日も何もなかったなあ」と嘆いて終わることも多いでしょう。
でも、それは「変化」がなかっただけのこと。じゃあ、逆に、「自分から変化しないもの、変わらないものを抜いたらどうなるのか」と考えてみる、、、たぶん、すっからかんの自分になってしまいます。。
つまり、自分というものは「変化しないものでほとんど出来上がっている」です。
家族、住まい、食事、衣服、電気、などなど数え切れない。。(90%以上を占める?)だから、上述の「変化しないものを忘れていく」という言葉に少々こわさも感じてしまいました。「変化しないものを忘れてはいけない」いや「変化しないものこそありがたく感じるべき」ではないかと。
うん、これこそ幸せだな。そう思うのでした。
、、、でも、もらえるなら、宝くじ当選金欲しいっす。おいおい、笑
(一度も宝くじ買ったことないけどね)
随筆みたいにダラダラと失礼しました。
ではでは
子どもの頃はすべてが新しく刺激的でした。変化の幸せ満載でしたね。もしかしたら、不変の幸せ、静的幸せを感じれるようになることが大人になることなのかもしれませんね。でも、人間というもの、何かが動けば目で追ってしまいますし、何かが鳴れば耳を傾けるのが人間の習性です。変化ばかりに囚われないようにするのは大事なのですが、とても難しいことでもあります。気をつけねば。
蛇足ですが、記事の中に「インパクト・バイアス」という言葉がありましたが、なんか、説明が直訳的でわかりづらい書き方をしていたので、ちょっと説明を。インパクト・バイアスとは「ある出来事から生じるであろう感情の起伏を大きく見積もる傾向」のことを言います。例えば、あの試験で失敗したら、すごいショックだろうなと想像してても、実際はそのショック度合いは想像のものよりも小さくなることが多いようです。(感情をおおげさに見積もる)