二流の人は二流という自覚があり、三流の人は三流という自覚がない。そして、三流の人ほど断定的なものの言い方をする。

【仕事のできない人は「人間洞察」の本質を知らない】
https://toyokeizai.net/articles/-/445985

 

二流の人は「自分が二流だということをわかっている」けれども、三流の人は「そういう意識がない」

一流の人になるともう、二流とか三流などという評価自体がどうでもいいし、気にならない

システムに無批判に最適化しようとする、世の中から与えられたモノサシを疑わずに駆け登ることに血道をあげる、というのがおっさんの基本行動

・例えば就職偏差値の高い企業をひたすら目指して就職活動している一流大学の学生なんかは「おっさん」に分類される

 

以上、記事引用参考。

 

 



 

できうる限り二流以上を目指したいし、おっさん思考にはなりくない

 

上記の記事全般おもしろかったのですが、特に、「そうそう!」と思った部分をピックアップ。(全文読みたい方は上記のURLからどうぞ)

 

先日、ツイッターにて、音楽でもつながりのある早川さんがこんなツイートをしていました。

人は経験を積めば積むほど、ものを知れば知るほど、どんどん自分が馬鹿だということを理解できるようになるものだと思う。論争において人のことを「頭が悪い」と断言できるひとはすごいと思う。怖くて絶対そんなこと言えない。ぶるぶるふるえちゃう。」

私、この内容にとっても共感しました。というか、実は、同じような内容を私も数日前にツイートしていたのでした。↓↓

学ばない人は自分が無知だとは気づかない。 学ぶ人は学べば学ぶほど自分がまだまだ無知だと気づいていく。やらない人は自分ができないレベルだと気づかない。やる人はやればやるほど自分はまだまだできないレベルだと気づいていく。 言動を見ていれば、どちら側の人間かすぐにわかる」

 

そして、上の記事で述べられている、この言葉。

 

二流の人は「自分が二流だということをわかっている」けれども、三流の人は「そういう意識がない」

 

これらの内容、すべてがリンクしていると思いませんか?

 

本当、何事も、勉強すればするほど、やればやるほど、「ああ、自分はまだまだだな」という感覚に陥っていくものだと思っている私です。

 

超一流のオリンピックアスリートの言葉の端々から、こういう感じが伝わってくることもあります。(決して、オリンピックアスリートを二流扱いするわけではありません^^;)

 

違う言い方をすれば、

勉強すればするほど、学べば学ぶほど、やればやるほど、自己の足らなさを知るし、断定するようなものの言い方ってできないと思うのです。(あらゆる可能性がみえてくるからこそ)

 

今の時代、コロナやワクチン、政治問題、スキャンダルなどなど、いろんな情報が飛び交っています。

断定的に言い切る情報が飛び交い、そして、世間(SNSなど)でも断定的なものの言い方をする人が最近多いなあとも感じています

そういう風潮に少し嫌な気分になりつつ、自分は気をつけなければと思い、私自身、自分なりに多角度的に情報収集をしたり、ただ鵜呑みにせず、自分の頭で考えるように努めています。

 

そして、もちろん自分なりの考えや主張というのはありますが、あらゆる可能性を踏まえると、そのことを決して断言するようなことはできないとも思っています。

 

逆に、今の状況(断片的な情報だけ)で、断言や断定する言い方をする方がおかしいのではないかと思ったりもします。

(詐欺師や悪い人ほど、断定的なものの言い方をする、という話もありますよね^^;)

 

システムに無批判に最適化しようとする、世の中から与えられたモノサシを疑わずに駆け登ることに血道をあげる、というのがおっさんの基本行動

 

上の記事にこう書かれているように、

与えられたもの(情報)を無思考に鵜呑みにする、というのも「おっさん」なのかもしれません。^^

 

私たちはなるべく、三流ではなく二流を(できれば一流を^^)目指して、上述のような「おっさん」にならないように気をつけていきたいですね。

 

ではでは

 

 

無知な人ほど断言するし、知的な人ほど断言する言い方をしないようが気がします。なぜなら、この世はわからないことだらけであり、いろんな可能性に満ち溢れているから。私も二流以上を目指してがんばります。

 

 

 

おすすめ

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です