「死への意識」による人間の変化
人は「死」を意識すると、本当にパフォーマンスが向上する:研究結果
http://wired.jp/2016/11/08/death-performance/
「死」を意識させることによって、バスケットボール選手のパフォーマンスが向上したという研究結果です。これはスポーツによる研究結果ですが、この記事でも書かれているように、「死をほのめかされると、その恐怖に対処する必要性が生じます。その結果、作業により熱心に取り組むことが多くの研究からわかっています。」
この感覚はわかるような気がしますね。
常に「死を意識している」人たちが、人生を最高に楽しんでいる9つのワケ
http://tabi-labo.com/228864/deathordie
記事に書いてある、「人生を俯瞰できる」「失敗や挑戦を怖がらなくなる」「死ぬ気でベストを尽くせる」「小さなことにこだわらなくなる」「やるべきことではなく、やりたいことに没頭できる」などは、本当にそうだなと思います。
ただ、死を意識することは、こんなふうに全部が全部、良いことにつながるとは限りません。
【衝撃】死を意識した人間がしてしまう5つの行動
http://buzz-plus.com/article/2015/07/29/shinu/
記事によれば、
死を意識した人は、
・法と秩序に敏感になる
・生命を意識させる行動を避けがちになる
・自分の名を後世に残そうとする
・自分の政治的立場にしがみつく
・より攻撃的になる
これらは、「死への恐怖」をベースに言われているものです。
こちらの記事の場合だと、死への意識はどちらかというと、悪いイメージがつきまといますね。
そうそう、あの有名なスティーブン・ジョブズ氏の言葉を思い出しました。
「もしも今日が人生最後の日ならば、今日やろうとしていることを本当にしたいと思うだろうか?」
さすが、天才!成功者!って感じですよね。
でも、「今日が人生最後の日だ」なんていつも考えて生きていたら、疲れちゃうよと、凡人の私は思ってしまいます。^^;
上でも述べてきたように、死への意識で良くもなりますし、そうじゃなくなる場合もあります。(どういう死への意識かにもよる)死への意識のレベルが、ジョブズレベルがいいのかどうかも、人それぞれだと思います。ただ、人類、生物みな平等に与えられた「死」について、何も考えないというのはどうかなとは思いますね。
ここで、私の場合の、死への意識の使い方というものをご紹介しましょう。
そうです、いつもの勝手に小形解釈、オガタマイズです。笑
それは、、、
このままでは終われない、終わらせないぞ
このままの状態で死んで終われない、終わらせないぞ
、、、です。
常にというわけじゃないですが、たまにこんな感じのことを思って生活しています。
この考え方だと、死への変な恐怖心もそんなにあおられませんし、ジョブズほど自分を追い込むようなレベルの「死への意識」ではなくて、凡人の自分には丁度いい、バランスのとれた考え方かなと思っています。(良い感じに向上心やモチベーションも保てる)
いかがでしょうか。^^
もちろん、人それぞれなので、全員におすすめはしません。
ただ、何度も言いますが、「死への意識」をまったく何も考えないというのだけはよして欲しいですね。「生」を感じるためにも。
自分なりのカタチ(命)をどうぞ見つけてください。
ではでは
死を意識すると、「やるべきことではなくて、やりたいことをするようになる」というのは本当にそうだと思います。おいしいものを食べたい?お金を稼ぎたい?それもいいでしょう。ただ、おいしいものを食べてから、どうするの?お金を稼いでから、どうするの?この欲望の先の問答を繰り返していくと、陳腐な表面的欲求ではなく、本質的な欲求、やりたいことが見えてくるでしょう。(これ、よくあるカウンセリングの一種です。)